前穂北尾根・北穂東陵山行報告

山行日   2010年7月17日(土)〜19日(月)祝
参加者   CL奥西、網岡国、東(山城山の会、花折(前穂北尾根のみ)、報告:奥西
行動記録
花折さんから、7月の3連休に「前穂北尾根に行かない。」という連絡があった。京都明峰労山の35周年行事で「徳沢」集中をするという。以前から行く事を考えていたので二つ返事でオーケーした。 参加メンバーは、網岡国さんと山城・山の会の東さんを加えて4人。
 7月16日(金)東さん、網岡国さんを乗せ、午後8時に八幡市を出発。 ひるがの高原SAで仮眠。
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17日(土) 上高地−涸沢
午前3時30分出発。5時に、平湯温泉の、予約していた宝タクシーの駐車場に到着。タクシーに乗り換え上高地へ(4500円)。 5時25分に到着。ここで先に出発していた花折さん初め明峰のみなさんと合流。明峰のみなさんは先に出発。5時45分我々も出発。 雨が続いていて、たぶんこの3連休もきっと雨だろうと思っていたのに、2日〜3日前に急に梅雨が明け、一気に夏空になった。
6時32分 明神 6時40分。7時23分 徳沢 7時33分。8時25分 横尾 8時50分と過ぎ、吊り橋を渡って横尾谷にはいる。ここから3時間の道のりである。7年前の5月に奧穂高岳山行の時に通って以来で、夏道を歩くのは初めてである。あのときは体調が悪く、テント泊のため重い荷物を背負って、苦しみながら登った記憶がよみがえってきた。 今回も20kg程度のザックを背負っているが、まあ快調である。 歩いていると圧倒的な迫力で屏風岩が迫ってくる。若い頃にここを登った花折さんの話を聞く。数人のグループが登攀用具をつけて準備をしている。たぶんこの岩を登るのであろう。自分も機会があれば登りたいと、ちらっと頭をかすめる。  道は吊り橋の本谷橋まで淡々と歩く。たくさんの登山者が歩くので広くよく整備されている。
本谷橋
横尾からここまで約1時間
たくさんの人が休んでいる。我々もここで休憩。

9時47分着=10時5分発

 ここからは登りも増えてきて、涸沢へ向けて高度を上げていく。 途中で網岡国さんが、足がつるという。手当てをして一応歩けるようになった。まあ大丈夫か。 だんだん高度を上げ、涸沢が見えてきた。見ると稜線あたりまで雪が残っている。このあたりは、確かに今年は雪が多い。 
稜線には雪はなさそうだが、谷筋には稜線近くまで雪がある。テント場のずっと下の方から雪が出てきた。

いつも元気な花折さん

12時30分 涸沢のテント場着。すでに多くのテントが張られている。ここのテント場は岩がゴロゴロした上に張る。一応整地はしてあるので、一部岩を手直しするだけである。しかし、雪が多いので、雪のないところは少なくなっている。幸い岩の部分にテントが張れた。寒さが違う。 荷物を整理したあと、花折さんと2人で明日登る前穂北尾根の登り口の確認に行った。5・6のコルまでずっと雪が付いている。
 明日はアイゼンを履いて登らなければならない事を確認する。 この後は恒例の宴会。途中激しく雨が降ってきた。雷もゴロゴロ。しかし、1時間ちょっとで止み、夜は満天の星に替わっていた。 今回は食事は自分の分は自分で作る。腹さえふくれたら良しとしよう。 明日の成功を願って、お休み。


18日(日)  前穂高岳北尾根
午前2時30分頃になるとテント場がざわざわしてくる。我々も2時50分起床。満天の星、天気は申し分なし。寒くもない。必要な準備をして、アイゼンをつけて、ヘッドランプを点けて3時40分出発。
 4時頃から空が薄明かりになり、4時30分にはすっかり明るくなった。 
右上が4峰
まん中が5峰
左の頂が6峰

写真では、傾斜が分からないが、5・6のコルに向けて登るにつれて傾斜がきつくなる。 1時間10分休み無しに登ったので、5・6のコルに着いた時には、「ああしんど!」
「ヘッドランプを点けて登る」
 前日のルート確認が大切!
「5・6のコル」

ハーネスを付けたり、登攀の準備をする。

4時40分着。5時10分発。

我々は3番目に到着した。下から続々と多くのグループが登ってくる。
 3峰の登りでザイルを出す必要があるので、ゆっくりはしておられない。順番待ちで時間が過ぎていく。
  「5峰の登り」

ここは特に問題になる事はない。
通常の岩稜帯の登りである。
ルートを間違う事もほとんどない。

ここを登ったあたりで、デジカメが不具合になり、撮影できない。 ここからの写真がない。残念(テントへ帰り、調べると、メモリーがうまく収まっていないということがわかり、再び使えるようになった)。 4峰はルートがいろいろありそうで、基本的には上へ上へ行けばよい。トラバース気味にも行けそうであるが、岩稜帯の登りは基本的に上を目指す方が正解の事が多い。正確なルートファインディングで花折さんは登っていく。
 前にいた8人グループがいなくなった。道に迷ったか?3峰には我々が先行した。前には2人グループだけである。時間的にはラッキー。 2人組は直登した。我々は事前の学習通り、奧又白に身体を乗り出して登るルートをとる。 奧西がリード、網岡国さんがビレー。花折さんと東さんはプルージックで登る。靴は登山靴。身体を乗り出すところは怖いと書いてあったが、特に何も感じることなく通過。そこはテープシュリンゲがついていて、ランニングビレーをとる事ができた。その他ピンが2カ所ほど打ってあった。30mほど登ったところでビレー点に来た。
 クライミングの技術としては、特に難しい事ではなかった。しかし、もろい岩があり、剥がれる危険や落石があるので、慎重さが要求される。 次は最後の網岡さんがトップ。途中でピッチを切ったので、最後の奧西が残り10mほどを再びリード。これで核心部が終わり、2人組が躊躇していた4m程の登りを難なく登り、2峰の懸垂下降地点へ。 クライムダウンでも降りられそうであったが、無理をしないで懸垂下降。 あとは再び登り返して前穂高岳山頂へ。
9時7分到着。あとは紀美子平へ下り、吊り尾根を経て11時15分奧穂高岳。この2時間は長くしんどかった。 穂高岳山荘で花折さんが先に下山(徳沢まで行くので)。我々はゆっくりテント場へ。午後2時着。 前穂北尾根を登った後、明峰労山の35周年「徳沢」集中のために徳沢まで戻る花折さんと穂高岳山荘前で別れる。我々は午後2時にテント場着。
山行の成功を祝い乾杯!  北尾根から明日の東陵のルートも確認できた。 夕食を各自とり、早い時間に就寝。

19日(月) 北穂高岳北陵
午前3時に起床。東さんがコンタクトレンズを落とし、探したが見つからない。予備のレンズを持っていたので、それを装着して、4時35分出発。すでに明るくなっているのでヘッドランプは要らない。
 アイゼンをつけて歩く。途中で雪がなくなりアイゼンをはずす。北穂南陵ルートを登っていく。やがて大きい石がゴロゴロしたところにやってくると南陵ルートからはずれ北穂高沢にはいる。例年だと、ここはガレ場で落石や岩が崩れるのに難儀しながら登るところであるが、今年は、一面雪に覆われている。再びアイゼンを装着。北穂高沢を渡り、V字状になった沢の右の沢にはいる。最後の70m〜80mは、昨日の5・6このコルへの登りよりも急傾斜だった。女性2人はちょっとビビっていたが、無事に稜線に出た。
踏み跡があったのでそれをたどるが、やがてはっきりしなくなった。一体どこから登るのか?たぶん最初から稜線を登るべき所を、少し先に行ってしまったようだ。とにかく稜線に出る必要があるので、女性2人が登れそうなところを探してのぼった。ちょっとしたクライミングで稜線に出た。すると手前の小ピークに若者が。確かまだずっと下にいたはずだが。元気のいい若者だ。全部で5人いるという。
 
北穂南陵ルートから別れ、北穂高沢を渡っている
前方上方の谷が目指すルートである。

 「こんな岩場を登る」
特に難しくはない

昨日の前穂北尾根から比べると、起伏が全然違う。小さい上り下りで、それも簡単だ。落石、浮き石には気をつけなければならないが。 我々を追い越していった若者が、「ここが核心部ですよ」の声。もうこんな所に来たのという感じ。あっけなく到着。 ネットの記録では、ザイルを出しているグループもある。両側の切れ落ちたナイフリッジということだ。しかし、網岡国さん、東さんは何のためらいもなく通過していく。考えてみれば、ハーネスも付けていなかった。足の置き場はしっかりあり、手もガバガバだ。あっけなく核心部を通過。 その分、何の感激もない。
  
「ゴジラの背の核心部を通過する東さん」
網岡国さんはすでに通過。
むこうで若者達が見ている。
2人の通過を拍手で出迎えてくれた。
私にはなかったが。

 この後すぐに懸垂下降地点に来るが、するほどの事もないので、右側のエスケープルートをとる事にする。 そしてコルへ降りる。
 若者達はここから雪渓を下っていった。我々は一段と広くなった岩稜の尾根を北穂小屋めがけて登る。
大きな岩稜を超えるとそこに小屋が見えた。雪の切れた小屋下の石垣の横を通って、梯子を登り小屋のテラスに到着。コルからは40分であった。8時40分に到着。いい天気だ。2つのバリエーションルートをやり遂げた感激が出てきた。20分休憩。9時出発。

 「槍ヶ岳をバックに北穂高小屋前で」
 バックパッカーの若者に写してもらう。

11時にテント場に戻り、パッキングをして12時に出発。6時前に上高地に着く。予約していたタクシーに乗り平湯温泉へ。温泉で汗を流し、自宅に帰ったのは、翌日の午前1時になっていた。


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