南アルプス大縦走(甲斐駒ヶ岳〜光岳)

山行日 2011年8月6日(土)夜〜14日(日)
参加者 CL:花折敬司、SL:奧西一博、会計:網岡国江、記録・写真:川野敏夫
花折忍(明峰労山)                           報告:花折敬司

報 告
 昨年の北アルプス大縦走は、後半、台風とその後の天候不良で途中下山を余儀なくされた。残念な気持ちは当然あったが、それでも個人的には大満足であった。その時、来年は「南アルプスだ!」と誓ったことを実践することにして計画を温めていった。
一度は登っておきたかった黒戸尾根から、南端の光岳まで7泊8日の計画となった。最大の難関は荒川小屋から聖までのコースタイム12時間。それが後半にある。これさえ何とかなれば成功するだろうとのもくろみで出発することにした。
今回の計画で苦慮したのは入下山の交通手段だった。当初はバスで韮崎まで行き、そこからタクシーで入り、下山時は、稜線のどこかで携帯でタクシー会社に連絡をして迎えにしてもらい電車の駅までということを考え、京都―韮崎間のバスを予約した。しかし、そこでひらめいたのが去年も利用した車の代行だった。さっそく甲府や韮崎近辺の代行会社をネットで検索し、ホームページのある「甲斐代行」に連絡を取る。見積もりは負けてもらってもなんと7万円。これにはびっくりした。しかし、当初4人だった参加者で交通費を計算するとトントンくらいになる。これに決めた。入山口の竹宇駒ケ岳神社で車を渡し、下山日に下山場所の易老渡に移動してもらい、途中何かがあれば連絡を取って適宜対応してもらうことで契約した。今後も、人数がそこそこそろえば、この代行は利用できそうだ。



 1日目 8月7日(日)(晴れのち午後一時雷雨)尾白渓谷(竹宇駒ヶ岳神社)−七丈小屋
コースタイム  6:45 尾白渓谷P出発 - 9:40 八丁登り - 11:20 刃渡り - 11:40 刃利天狗 - 12:20〜35 五合目小屋跡 - 13:30 七丈小屋着

 
刃渡り                         黒戸尾根の登り

行動記録
 5時半に竹宇駒ケ岳神社へ移動開始。6時過ぎに着くと、既に代行会社の車が来ていた。すぐに出発の準備をし、車を引き渡して出発する。
黒戸尾根。これはどのガイドにも大変厳しく書かれていて、最初の難関になるだろうとの予想であったが、それほどでもなかった。確かに小屋まで7時間、さらに頂上まで2時間と、9時間を超える登りはそうあるものではないし、5合目から上は梯子や鎖があり急登ではあるが、最初から覚悟をして行ったからかもしれないが、結構な重荷ではあったにも拘らず心配するほどでもなかった。小屋まであと少しの所で雷雨にあったが、今回の山行で唯一雨具を付けた個所となった。小屋でテント場の予約をするが、登り始めてすぐに忍の調子がよくなく貧血を起こしたりしたので、急遽、素泊まりに変更した。ところが、素泊まり小屋は広くてすでに寝具が敷いてあり、寝具持参だと敷いていない3畳ほどに寝ろとのこと。すでに3人が入っていて詰め詰めに寝なければならない。それなら申し込む時にそう言ってくれればこんなところに入らないのにと、小屋番の酷さに先着の3人と大いに文句を言っていた。すると突然ドアーが開いて小屋番が入ってきて、テントに変更するならそうしてもいいという。本館は40mほども離れているのに聞こえていたのか?まさか?なんだか盗聴されていたような気がしてびっくりだ。すぐに変更して、再度テント泊とする。テン場に行ってテントを張り、早くついたこともあってゆっくり過ごす。この日は4張だった。



 2日目 8月8日(月)(晴れ 夜一時雨)  七丈小屋−甲斐駒ヶ岳−千丈小屋
コースタイム  5:00 出発 - 6:35 剣峰 - 7:12〜30 甲斐駒山頂 - 8:20〜35 駒津峰 - 10:05〜25 北沢駒仙小屋 - 12:20 五合目 - 13:15 小仙丈岳 - 14:10 仙丈小屋到着

 
甲斐駒ケ岳頂上

行動記録
 小屋組が来るのを待って出発する。岩場をこなしながらどんどん高度を稼ぐ。御来光遙拝所などがある。2時間ほどで頂上着。昨日、素泊まり小屋で一緒になりかけた3人組の1人が、「ブロッケンが見える。」と教えてくれた。確かに虹の輪の中に影が映っている。太陽の加減で見えたり見えなかったりしたが、見える時を狙って写真に収めた。
ゆっくりする間は無い。すぐに下山にかかる。今日は仙丈小屋まで行かなければならない。六方石の手前あたりから登ってくる人たちと交差するようになり、待ち時間が出てくる。奥西さんたちは荷が軽いのか、とにかく早い。駒津峰で一旦合流するが、その後、3人はドンドン下って行ってしまう。仙水峠で待っているかと思いきや、そこにもいない。仙水小屋にもいない。小屋の人が「先に行っている。」との伝言を、伝えてくれる。これではまるでパーティーはバラバラ。一番いけないパターンだ。後で聞いて分かるのだが、今朝は朝食が出なくて腹が減って小屋でうどんをと思って、我々が来るまでに食べておこうとの算段から先行したとのこと。それにしてもリーダーにはきっちり許可を得るべきである。しかし、結局どの小屋にもうどんは無かった。駒仙小屋で合流した。


千丈小屋へ

 ここから仙丈小屋までは約800mの登りである。駒が岳から700mほど下ってからの登り返しはきつい。しかも途中でゴロゴロと雷の音も聞こえてくる。幸い遠くで事なきを得たが、気持ちの良いものではなった。頂上少し下からトラバース道をとって小屋に到着する。結構人が多い。ここはテント場は無いので、素泊まりとして申し込みをし、2日目を無事終えたことに乾杯をする。水は豊富で、体を拭いたりして過ごす。小屋の人も昨日と違って愛想がいい。炊事小屋で炊事をし、泊まり客の食事が終わった後の食堂にシュラフを敷いて寝た。



 3日目 8月9日(火)(晴れ)  千丈小屋−野呂川越え−熊の平小
コースタイム  4:40 出発 - 5:07〜17 仙丈岳山頂 - 5:46〜57 大仙丈岳山頂 - 7:47  伊那荒倉岳 - 9:36 野呂川越え - 12:45〜13:00 三峰岳 - 13:55 市営「熊の平小屋」着


大千丈岳

行動記録
 ヘッドランプが必要でなくなってから出発する。仙丈の頂上までは朝いち30分。途中で御来光を迎える。頂上には小屋から御来光を見るために往復する人が何人かいた。写真をとるために小休止し、すぐに大仙丈岳へと向かう。人はぐっと少なくなる。大仙丈で小屋組みの朝食タイムをとり、野呂川越えまでの長い下りにかかる。この後約700m下り、ほぼ同様の700mを登ることになる。一旦森林限界まで下がり、樹林の中の尾根を辿っていく。伊奈荒倉岳や高望池、独標を過ぎると、やがて野呂川越えに出る。ここは両俣小屋を経て北岳への道との分岐になっている。いよいよここから三峰岳への登りとなるのだが、ダラダラとアプローチが長い。なかなかしっかりした登りにならないのだ。もういい加減にしてと言う頃にやっと登りらしい登りとなる。ここから三峰岳までのとう急登をこなすと、目的の熊の平の小屋まではほぼ下りとなる。10数年前には厳冬期にここを通過している思い出の場所だ。ここから間ノ岳を経て北岳小屋へと行った時のことがよみがえってくる。あの時、間ノ岳の頂上は猛烈な風で、忍は「飛ばされる。」と思わず標柱にしがみついたものだ。


三峰岳頂上

2時前に小屋に着く。南アルプスの小屋は3時までにつかないと食事ないありつけないところが結構ある。それもあって我々はかなりなスピードで歩くことを余儀なくされているのだ。小屋にすぐ下の森の中のテント場にテントを張る。ここも水は豊富で、体を拭き足を洗うことができた。トイレも垂れ流しの水洗である。どのように処理しているのか気にはかかる。



 4日目 8月10日(水)(晴れ)  熊の平小屋−塩見岳−三伏峠小
コースタイム  4:30 出発 - 5:17 安部荒倉岳 - 7:30〜42 大崩壊地のザレ場 - 9:55〜 塩見東峰 - 10:52 塩見小屋 - 12:40 本谷山 - 13:30 三伏峠小屋着

 
塩見岳目指して歩く                      塩見岳目指して 

 今日は大きな山としては塩見岳一つを越えるだけなので気が楽である。熊の平らが2400mくらいあるので約600mほどの登りをこなせばいいだけである。それも塩見岳に近づくまでは2700m以下の登下降である。それでも4時半には小屋を出発する。
 これと言った特徴のない登山道を登下降を繰り返しながら安部荒倉岳、新蛇抜山、北荒川岳と越えていく。これを過ぎると広いザレ場に飛び出る。山行者から「ここは一休みする価値大いにありですよ。」と声がかかる。稜線に飛び出ると目の前に塩見岳がどっしりと聳え立ち、圧巻である。一瞬声が出ないくらいの光景が目の前に広がっている。大崩壊地の向こう、なんと塩見岳の凛とした姿の格好いいことか。今年の年賀状はこれで決まりだと思わず声が出る。写真を何枚も撮る。大崩壊地の山肌を見ると何筋にも線が引かれている。良く見るとそれは鹿が通るために出来た獣道だ。今、南アルプスが鹿の食害で瀕死の状態になっていると「登山時報」に書かれていたが、それを目の前に見ているのだ。なんとか対策は無いものなのだろうか。そんな中にもタカネビランジがピンクに美しく咲いているのが印象的だった。
ここから塩見岳東峰までは高度差はさほどでないが、なかなかの急登である。10時前に到着する。三伏峠からの人たちもいる。展望を楽しんで三伏を目指して下りにかかる。塩見小屋は通過して、先を急ぐ。本谷山、三伏山を経て三伏峠に1時半に到着する。


塩見岳東峰

 テントを張った後、10分ほど下の水場まで行き、体を拭いたり頭を洗ったりする。南アルプスは水が豊富なところが多く、長期の縦走には有難い。
 例によって5人はビールで乾杯し、今日の健闘をたたえあう。今夜が4泊目で丁度中間となる。体もなんとか慣れてきて、全員すこぶる調子は良い。天気さえ崩れなければ完走できそうだと、確信のようなものを感じる。



 5日目 8月11日(木 (晴れ)  三伏峠小屋−荒川小屋−赤岳避難小屋
コースタイム  4:24 発 - 6:32 小河内岳 - 8:10〜25 板屋岳ピーク - 9:02 高山裏避難小屋 - 11:55 前岳 - 12:40〜13:08 荒川小屋 - 13:35 大聖寺平 - 15:25 赤石岳山頂 - 15:28 県営赤石避難小屋着

 
高山裏避難小屋                     荒川前岳

行動記録
 いよいよエアリアマップの南アルプス南部に入る。テント周辺でつらつら耳に入ってくるところによると、ここから荒川小屋までは8時間と言う。コースタイムは9時間半くらい。もし噂が本当なら、12時半くらいには着く。午後1時までに着けば、無理をして赤石岳頂上の小屋まで行くことをメンバーに告げて出発する。
 最初は烏帽子岳までの緩やかな登りだが、西側が崩れているので新しい道がついていたりして、先行者が迷っていたりした。我々は全く安定していて、道があやしくなってもすぐに元の道に戻れる。これも経験だろう。


赤石岳

 今日の前半は2600mから2800mくらいのアップダウンなので、今までの中では一番楽だ。この辺りのコバイケイソウもほとんど花だけ鹿に食べられていて無残だ。マルバダケブキだけが黄色い花を咲かせている。小河内岳の避難小屋は、10数年前は稜線にあって荒廃していたと記憶するが、今は稜線を外れた所にあるらしい。その標識を見ながら先を急ぐ。森林限界下になるため再度樹林の中になる。大日影山を降りると一旦東に向きを変え、板屋岳から、又、南に向くことになる。懐かしい高山裏避難小屋が見えてくる。営業をしているようで、宿泊用なのだろうかシュラフが窓に干してある。おじいさんがいて声を掛ける。「赤石岳の小屋は営業しているんやろか。」「当たりめ―だろう。」とニベもなく返された。
ここから前岳までがなかなかの登りである。最初は小広場と言うところまで、斜面を左トラバース気味に50分程どんどん登っていく。ここから広い沢上の斜面を直登することになる。これがなかなかなものだ。やっと稜線に出たと思って休憩していると、後から来た人が、「前岳はもう少し向こうだ。」と指摘してくれる。中岳まで行くと10数年前に忍と二人で厳冬期に二晩ビヴァークした緩やかな斜面が目に入ってきた。ここだったとはっきり記憶している地形だった。何とも言えない懐かしさを覚えた。
 荒川小屋への分岐から小屋へ向かって下っていく。途中、鹿の食害対策で柵を設けているところに出る。この柵を何回か入ったり出たりして下っていくと遠くに小屋が見えてくる。小屋に着いたのは12時40分。予定通り、我々は赤石岳を目指すことにする。その前に腹ごしらえをしようと、ここでラーメンとうどんをそれぞれ注文した。その美味かったこと。完食は言うまでもない。
 麺で元気を得た我々は、ここから大聖寺平を目指す。斜面をトラバース気味に登るのでそれほどしんどくは無い。平から赤石の頂上までは登り400m少しである。途中、聖小屋から郵便を届けに赤石の小屋まで行ってきたというお姉さんに会う。頂上着15時25分。今日ちょっと頑張ったので、明日は随分楽になる。益々、今回の成功の確信が強くなった。

 
荒川前岳すぐ先の冬のビバーク地             赤石岳避難小屋でスイカを

 小屋の人は気さくで、愛想が良い。中で休んでいるとスイカを出してくれた。それも一人二切れも。今年の初ものだったので美味かったのなんの。小屋食はカレーだ。我々は持参したジフィーズ。お手伝いの  女性が小声で「シュラフはいいですよ。」と、小屋の寝具をそっと貸してくれた。有難い。
 我々を含めて20人近い人が宿泊していた。



 6日目 8月12日(金) (晴れ)  赤岳避難小屋−兎岳−聖岳
コースタイム  5:02 出発 - 6:17 百間平 - 6:50〜7:00 百間洞山の家 - 8:50〜9:02 小兎岳 - 9:38〜55 兎岳 - 11:40〜12:02 聖岳山頂 - 13:30 聖平小屋着

 赤石岳からの黎明の富士                      百間平
行動記録
 4時30分には出発しようと、3時過ぎに起床。朝食を作っていると、「今日の日の出は最高だよ。特に日が出る前が美しい。」と、小屋の主人が話してくれる。それに合わせて5人で出発準備をし、荷物を分岐まで持って行って30mほど先の頂上へ登る。確かに日の出前の空は美しい。写真を何枚も撮る。寒かったので奥西・網岡・花折忍の3人は「早く行こう。」と分岐まで下ってしまう。
 私と川野さんは、もう少しで太陽が出そうなので5分、10分と長居をしてしまう。結局みんなを30分近く待たせてしまった。誠に申し訳なかったが、日の出を拝み、心新たに出発することができた。また、日の出直前の、素晴らしい写真が撮れた。これはコンテストに入選ものだと自負しているが、独り善がりか?待っている時に百間平から登ってくる人のヘッドランプが、岩場の斜面に見えた。あそこを登るのかと見ていたが、結局その人とは出会わなかった。後でヘリが飛んできて変な行動をすることと何か関係があったのだろうか。少し後のことである。


聖岳頂上

 5時過ぎが出発となってしまった。百間平から百間洞を目指して下っていく。大斜面のコルまで下るが先ほどの人と会わない。あの人は一体どこへ行ったのだろうか。一本道で間違うはずは無いと思われるのだが…?このコルから顧みると、私が見た辺りは斜面の左側の尾根を越えた岩場になる。あのような所に行くはずはないと思われるが、確かにあの辺りで見たと思う。百間平では絶対になかった。それほど遠い光ではなかったのだ。「おかしいな。おかしいな。」と言いながら百間平を過ぎ、百間洞への下りにかかる。10数年前、冬山の下見に来て、雨の中でテントを張ったテン場がどこらへんか思い出すが、思い出せない。ここから数分で百間洞の小屋に着く。ここの夕食のトンカツは有名らしい。我々は少し休憩をして次の目的地の聖平方面へ大沢岳と中盛丸山のコルを目指してトラバース気味に登っていく。一時間のコースタイムを45分ほどで登る。昨日からそうなのだが、どうも南部のコースタイムはかなり甘い。 執筆者によって違うのだろう。北部は休憩を入れて、大体コースタイム通りくらいだったのに…。
 この後、小兎岳、兎岳を越えて、一旦この間の最低コルまで下り、いよいよ聖岳への登りにかかる。兎岳を登っていたときだろうか。ヘリが一機飛んできて赤石岳周辺で低空飛行を始める。荷揚げのヘリのようではなく、その辺りを偵察しているような動きなのだ。もしかして今朝見たヘッドランプの人を探しているのだろうか。そのうちに百間平の向こう側にホバーリングしながら降りて行った。しばらく見えなかったが、そのうちにまた上ってきて、どこかしらに飛んで行った。遊びではあるまい。いったいなんだったのだろうか。

 
兎岳の稜線                    聖平小屋前のテント場

 昨日赤石岳まで頑張ったので、今日は時間的に十分ゆとりがあり、気持ち的にも楽だ。ゆっくり高度を上げていき、聖岳の頂上には昼前に着いてしまった。天気も良く、うつらうつらしたりしてゆっくり休憩をとる。さすがに百名山だけあって、人は多い。
 ここからは800m程を下るだけ。前を行く人たちをドンドン抜かして、一気に小聖岳手前まで下り、小休止をして、薊畑から小屋まで頂上から一時間半で下ってしまう。ただこの下り、結構急斜面なのだ。夏の今なら何ということもないが、10数年前、私達夫婦と奥西さん、Sさんの4人で冬にこの斜面を登っている。その時、ここはテカテカに凍っていて、光っていたのだ。その時はそれほど急斜面だったという記憶は無いが、登りはさておき、よくこの斜面を4人全員無事に下ったものだと、いまさらながらに感心してしまう。ちょっと滑ってしまうと、もう止めようは無いだろう。今頃になって冷や汗をかきながら下ることになろうとは…。
 小屋は多くの人で賑わっていた。テントは最終的には30張くらいになった。小屋のすぐ前がテント場で、そのすぐそばに水場がある。我々男どもは今日も裸になって水でからだを拭いた。毎日有難いことだ。トイレも水洗できれいだ。山小屋もここまでくれば本当に快適だ。テント場に5人が集合し、洗濯物をそれぞれ干して、ビールで乾杯しながらゆっくり過ごした。天気は全く安定していて、気持ちのいい、幸せな午後が過ごせた。もう後は、今までに一番アップダウンが少ない稜線歩きが一日残っているだけだ。完走を疑うことなく眠りについた。



 7日目 8月13日(土) (晴れ)  聖平−茶臼岳−易老岳−光岳
コースタイム  4:35 出発 - 6:17 南岳 - 6:43〜57 上河内岳分岐 - 8:03〜20 茶臼岳山頂 - 8:52 希望峰 - 10:07〜20 易老岳山頂 - 12:15 県営「 光小屋」到着 - 光岳頂上往復

 
光岳直前の湿原                        茶臼岳   

行動記録
 いよいよ今日、光岳まで行けば南アルプス主稜の大縦走が完成する。ただ粛々と歩くのみだ。全員体調はすこぶる良好だ。南岳から大河内岳までの600mが今日の最大の登りだ。今まで800m、900mの登りを何度もこなしてきた私達にとっては、どうということは無い。今日が全行程の中で一番楽だ。2時間ほどで上河内岳への分岐に着く。団体がいて、皆さん上河内岳を踏みに行くが、北から南までの主稜を歩き通すという我々とは目的が違う。我々は小休止の後、茶臼岳を目指す。
 昨日の項でも書いたが、10数年前、4人で冬にこの稜線を通ったのだ。その時はやはり上河内岳までは氷の上で緊張し、その後、稜線通しで歩いたが、這松の上に積もった雪の上を歩く時、這松の隙間に足が落ちて、抜け出すのに苦労したことを思い出し、奥西さんとそのような話をしながら懐かしむ。
 茶臼小屋分岐を過ぎ、茶臼岳には8時に着いた。冬にしか来たことが無かったので、ここがこのような岩がゴロゴロした頂上だったとは知らなかった。小屋のお姉さんが登ってきて、いきなり携帯のメールを始めた。ここは場所によってはピンポイントで通じるのだ。そのまま携帯の電源を切るのを忘れて歩いていると、突然携帯が鳴った。出て見ると弟嫁からだった。息子が今晩から富士山に登るのでアドバイスをとのこと。みんなに待ってもらって必要なことを告げる。


光岳展望台でバンザイ!

 そのようなハプニングを交えながら、順調に易老岳に着く。ここから三吉平まで下り、光岳までの、この7日間で最後の登りを登ることになる。ゴーロ上の谷筋をどんどん登ると水場が出てくる。ここまでくれば小屋までは20分程度。テント組は今晩の水をここで調達して小屋に向かう。小屋着12時15分。七日間歩き通した結末としてはちょっとあっけなかったが、なんとも早い到着となった。
 宿泊手続きとテント設営をして、頂上に向かう。隣のテントの青年はなかなかの好青年。
 今日は詰めて張れとの小屋番の指示で、テントを押さえる石を共有しながら張った。


光岳山頂

 頂上にいた人に撮影をお願いし、万歳三唱を動画に収めてもらう。この七日間、歩き通した我々の体力とチームワークに本当に感激一入だった。展望台に移動して、再度万歳を写真に収める。歩き通した満足感が、ジワーッと体の奥から湧き上がってくるのは、私だけではなかっただろう。下の方に光岳の由来となった白い石が見えていた。そこまでも行けるらしいが、我々は辞退して小屋に戻った。小屋の前で、やはり例にもれず乾杯。先の青年も寄ってきて、京都マラソンに申し込むということなので「もし京都に来たら是非一緒に飲もう。」と、大いに盛り上がった。この青年とは勿論住所交換をした。この人は我々の反対を聖岳まで行くという。塩見に登って、一旦下山をしてここに回ってきたとのことだった。



 8日目 8月14日(日) (晴れ)  光小屋−易老岳−易老渡−京都
コースタイム  5:17 出発 - 6:54〜7:04 易老渡分岐 - 8:29 面平 - 9:25 橋を渡りゴール - 9:50 車〜、出発 - 11:30〜殿岡温泉「湯〜眠」 - 京都


易老渡で山行を終えた

行動記録
 いよいよ最終日となった。大縦走の余韻をひしひしと感じながら、今日は下るだけだ。とはいっても光から三吉平まで300m、易老岳から易老渡まで1500m、計1800mの下りだ。2〜3日前から左のアキレス腱が痛くなっている私にとっては気をつけて歩かなくては、ここまで来て何かあっては大変だ。奥西さんに「ゆっくり下って。」と注文をつける。それでも私はなかなかついてはいけない。遅れ気味に下っていく。
 易老岳までは昨日来た道。樹林の中、2時間で着く。ここから岩場や木の根の張った急な下りを過ぎて、どんどん高度を下げる。暑さが増してきて、いよいよ下界に近づいていることを。肌で感じるようになる。杉やヒノキの大木がある面平を過ぎ、植林された林に入ると駐車場は近い。ジグザグに高度を下げ、下に道が見え出し、ついに易老渡のつり橋に到着した。お互いに「バンザーイ。」「お疲れさん。」と声を掛け、全員で自然に握手を交わす。7泊8日の長い長い山旅をついに歩き通したのだ。
 昨年に続く長期山行。今年は南アルプス主稜を完走した。そして、既に来年の話も出ている。
 来年は言うまでもなく、昨年のリベンジも兼ねて早月尾根を登って剣から薬師を越え、槍から西穂高、さらに焼岳を越えて中尾温泉までである。中高年登山隊、頑張るぞー!



 ま と め


最終の百名山 光岳山頂

 最後に、少し長くなるが全体のまとめを書いておこう。
こ のような長期山行では大きな山をいくつも越えていかなくてはならないので、一日一日のアップダウンはなかなか大変だ。特に、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、三峰岳、荒川岳、聖岳などの登りは一山だけで小屋やコルからの高度差が6〜800mもあり、これが一日に2回ともなれば結構なエネルギーと忍耐が必要となる。しかし、だんだん体が慣れてきて、昨年も体験したがただ黙々と登り続ける動作を繰り返すだけで、それ程苦にならなくなっていくものである。
 毎日の行動時間は最終日を除いて、約7時間30分から11時間となった。南アルプスは小屋泊まりで食事をお願いしようと思えば、小屋によって多少違うが午後3時には到着しなければならないところが多い。それを逆算して出発時間を決めなければいけないことになる。気持ち的には焦る要因にもなるので、余裕をもって行動できるような時間設定が必要になる。我々5名は足が完全に揃っていたので、これは特に問題にはならなかった。
 全期間を通して天気が良く、どこでも展望にも恵まれたが、中でも一番強く印象に残っているのは北荒川岳から上で塩見岳までの間にあるザレ場から見た光景だ。塩見岳が眼前に大きく迫り、圧巻だった。また、赤石岳の小屋の方が「ここからの日の出は最高!」と言っておられたので出発を待ってもらって撮影したが、日の出前の富士山を遠景にした朝焼けは、言葉とおり最高であった。
 今回も敬司・忍はテント泊で取り組んだが、二人とももうすぐ60歳を迎える歳とはいえ、まだ何とかなるものだ。二晩はテント場がないということで小屋に素泊まりをしたが、他の五泊はテントを張った。食事つきの小屋泊まりには無い充実感を味わうことができた。しかし、軽量化は絶対必要だ。最初の重さは水を含めて敬司で約23〜4kg、忍が21kgくらいだっただろう。途中で40kgあるという荷物を背負った若者とすれ違ったが、昔の登山ならそうであっただろうが、今どき中に一体何が入っているのだろうと思った。
 日が経つにつれて食料が減っていく。減っていくのは食糧とガスのみ。行動食も含めて1日に付き2人で1kg以上は軽くなっていく。最終は私で18kg位になっていただろう。
 装備の中で全く使わなかったのは半そでのTシャツ。持っていくとしても1〜2枚で十分だ。これは今後の教訓としたい。敬司は重さを測ってシュラフの代わりに羽毛の上下を持っていったが、下が薄くて夜中に寒さを感じた。やはり軽量のシュラフを用意するべきであろう。
 食料の内容もまだまだ工夫の余地はある。毎日同じようなものになってしまったが、もっとバリエーションを考えるべきだった。お湯をかけるだけの麺があることをネットで知り、取り寄せて朝食に利用したが、これはなかなか良かった。うどん・そば・ラーメンで4種類あり、味も良かった。時間短縮にもなりこれからも大いに利用価値ありだ。行動食は、夜にアルファー米をおにぎり用のパックに詰めて持っていくことにした。パン類の量が減って軽量化にもなるし、ご飯はなんといってもエネルギーになる。しかし、私にとってはとてもよかったが、連れ合いにとってはモチモチして食べにくかったようで3日目からは私だけになってしまった。それぞれの好みによって工夫するべきだろう。
 今回の南アルプス主稜大縦走は、計画から言えば100%の大成功だったと言えよう。これに北岳・間ノ岳・農鳥岳を入れれば完璧だっただろうが、大満足の8日間だった。
 長期にわたる南北アルプスの縦走をしている記録はホームページで探すと結構ある。北アルプスで言えば日本海から西穂高岳4日間などという吃驚するほど早掛けのものもあった。逆に、40数日をかけて餓鬼岳から奥穂・前穂・上高地〜西穂・焼岳、さらに霞沢岳〜槍〜剣、白馬から日本海までなどというとんでもないものもあった。また、北岳・間ノ岳・農鳥岳を含めた南アルプス全山などというのも、勿論ある。しかし、そのほとんど単独か若者の2名くらいのパーティーであった。我々のような中高年男女5名で、体力に合わせて小屋泊とテント泊に分かれてこのような縦走を、しかも南北アルプスに渡って取り組んでいるというような例はホームページで探す限り、私は見つけることは出来なかった。
 「同じ中高年の私たちも、頑張ってこのようなことに取り組んでいますよ。登山の好きな中高年の皆さん、お互い、もっともっと頑張りましょうよ。」という中高年登山愛好者へのエールの気持ちもある。また、「アラシックスのおじさんおばさんでもこんな挑戦をしているのだから、多くの若者のみなさん、負けずにもっと若者らしい大冒険をしてみませんか?」という若者への訴えと挑戦状の意味もある。これに若者が真剣に答えてくれるならば、登山の発展に多少とも寄与することになるのではないだろうかとも考えている。 そのような意味で、「なでしこジャパン」の活躍にも劣らない取り組みだ(オーバーすぎ?比較が間違っている?なんと言われてもいいぞー!)と思っている、と言っておこう。


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