東日本大震災復興支援ボランティアと

           
    栗駒山登山バスツアー報告

日 時 2011年8月19日(金)夕方〜23日(火)     報告:川野敏夫
参加者 川野・荻野晃・塚本(らくなん山の会)、洛中労山4名、乙訓山の会4名、左京労山1名、WAO亀岡2名、明峯労山6名、やましな山の会1名、西山HC8名、山城山の会2名、福知山山の会2名、伏見山の会7名             計40名

 8月19日(金)夕方〜23日(火)にかけて、労山京都府連盟の「東日本大震災復興支援ボランティアと栗駒山登山バスツアー」に荻野さん塚本さんと3人参加。
 11労山より40名(男女各20名)は、19日午後10時、京都駅八条口より大型バスで名神・北陸・磐越・東北の高速道を乗り継ぎ、20日午前9時少し前に石巻市の道の駅「上品の郷」到着、昼前2台のマイクロバスに乗り換えて被災地を見学する。
 大津波から5ヶ月が過ぎた市内は、大量のガレキの山が高々と各地にある、残った住宅も無残な姿そのままだった。高台にある日和山から見下ろすと、かっての街は消えてしまっていた。女川の被災地も手付かずのままで街そのものが消えていた。
 我々の宿は海からは遠く離れた「水沼東部構造改善センター」体育館と公民館が一緒になったような建物で、電気、ガス、水道、トイレは完備、体育館、和室と立派な調理室があり今回のツアーの目玉でもある、料理班の方が2日分の夕食、朝食、昼食(弁当)を担当してくれた。現地の状況が分からない我々には大安心であり、又 手の込んだ美味しい料理を提供してくれました。

 
交流会                         ガレキの山

 夕食後、既に今日の作業を終えた滋賀労山の3人、兵庫労山の5人、地元の宮城労山より7名の方々と交流会がありました。宮城労山の方々も大変な被災を受けながらもずっと頑張り続けていました。
 午後8時半頃小さな地震でここは東北だと自覚、ところが翌日21日午前4時下から突き上げる強い地震が一発にはビックリしました。
 この日はガレキ処理作業に行きました、場所は多くの児童が犠牲になった大川小学校の川を挟んだ向い側の農地一帯、すでに重機が入り大型のガレキは回収山積みされており、残りの手作業による撤去作業です、現場には10台以上の一輪車やスコップもあり、作業手袋とマスクが支給され雨の中カッパを着ての作業でした、
 道路側の小川からは畳や家具、柱、梁なども回収しました、カッパにはヘドロの臭いが染み付いてしまいました。作業後大川小学校前を通ると今も訪れる人が多く、花やお菓子が供えてあり我々もバスの中から合掌し冥福を祈りました。
 夕食後、各会から一人ずつ感想を話すことになり、らくなん山の会からは新人の塚本さんにお願いしました、実に素晴らしい発言で、被災地への熱い思いが言葉の一つ一つに込められていて、会場の全員が感動に包まれて涙をこらえ切れなくなりました、後からも多くの人から絶賛の言葉を聴きました。

 
栗駒山登山@                      栗駒山登山A

 22日(月)も地震で目覚めました、生憎の雨の中の 栗駒山登山になりました、いわかがみ平から東栗駒山コースを乙訓山の会3人と らくなん山の会3人の6人で歩きました、凹地が登山道のためずっとジャブジャブの沢歩き、途中の大きな沢は滝の中に足を踏み込む沢登りと大きななめ滝歩きをたのしみました。残念ながら山頂部も雨風で眺めも無く写真も写せる状況にはなりませんでした。下山後は栗駒山荘の温泉で暖まりました。
23日(火)バスは朝8時に出発、19日のコースを逆に、相変わらずの雨模様でしたが、安達太良山や磐梯山などが見ることができ、京都駅には午後8時40分着、全員元気に帰ってきました。
天候が不順で、ガレキ撤去作業も半日しか出来ず、栗駒山登山も景色は見えず、やや消化不良の感もしますが、現地に行って自分の目で見たことで次にも機会があれば是非参加したいと思います。今回のツアーを計画した京都府連盟はさすがです、すごい!感心しました。




  東日本大震災復興支援ボランティアと

              
      栗駒山登山バスツアー

報告 塚本晃子

 3月11日、あの地震が起こってから、自分に何ができるかをずっと問い続けてきました。らくなん山の会に2月に入会したものの、年度末・初めの仕事や転勤でいきなり幽霊会員となっている私が参加していいものか悩みましたが、今回、参加させていただいたこと、大変ありがたく思っています。ありがとうございます。

★ 被災地の視察について
8月20日は石巻市街、女川町を、21日は大川小付近、雄勝地区を視察させていただきました。
 TVや新聞で映像や写真を見、被災地に行った方からいろいろ現地の状況を聴かせていただいていましたが、やはり実際目にしたその風景は想像以上で、言葉を失いました。
 特に津波で壊滅的に被害を受けた雄勝地区などは、ダンプが行き交うものの、生活している人の気配は一切なくなっているため、まるでゴーストタウンのようで、無残な姿となった学校、公民館等を見ていると胸がしめつけられます。
 震災から5カ月が過ぎ、地域の方、多くのボランティアの方のご努力により、町の瓦礫等、随分片付けられてきているのでしょうが、まだまだ津波の恐ろしさ、震災の爪痕の大きさを痛感します。
 ただ、そんな中でも、町には「がんばろう、東北」「がんばろう、宮城」の幟が立ち、営業をしているお店もちらほら。大手スーパーも営業しており、少しずつとはいえ復興の兆しが見え、人の強さ、希望を感じることもできました。

 
        横倒しになった建物〜女川町

★ 農地の瓦礫撤去について
21日、滋賀労山の方と一緒に石巻市北上の大須地区にある農地の瓦礫撤去を行いました。
 作業をさせていただいた場所は、北上川を遡ってきた津波により海につかったところで、対岸には、たくさんの子どもたちが津波の犠牲となった大川小学校があるところでした。
 ヘドロが入った農地はひび割れ、草が青々と生い茂っていました。
道から見ていると、大きな瓦礫がちらほら見えるだけでしたが、実際に農地に入り、草をかき分けてみると、様々な瓦礫がありました。家の柱や壁の一部、ガードレールの反射鏡、標識の柱、大黒様、プロパンガス、服、鞄、薬、おやつの袋、缶、本、魚の死骸・・・
 「また田圃として使えるように、きれいにするぞ〜」と張り切って作業を始めましたが、名前の書いてあるらくがき帳や子どもの筆跡がのこるノート等を目にした時、自分が今手にしているものは、ごみではなく、瓦礫でもなく、日常のかけら、思い出のかけらなんだということに気がつき、悔しくて、悲しくて・・・言葉になりません。
 朝からしとしとと降ったりやんだりしていた雨が、お昼には少し雨脚がきつくなったため、作業終了。たくさんの人数で作業をしたので、たくさんの瓦礫を集めることができましたが、まだまだ残る瓦礫。もう少し作業をしたかった、がんばりたかったなという気持ちが残っています。



★ 栗駒山登山
 22日、東栗駒山コース〜須川コースに参加しました。
 この日も雨。11時40分、いわかがみ平から登り始めました。リーダーは乙訓山の会の夏原さん、サブリーダーは乙訓山の会の吉川さん、他メンバーは乙訓山の会の中田さん、らくなんの川野さん、荻野さんと私(塚本)。
 随分雨が降っていたのでしょうか?登山道は沢状態。水につからないように、岩の上や登山道の端を歩くようにするのですが、努力の甲斐なく!?水の中へポチャン!!滑って、木の根で顔をガツン!と強打する始末・・・(T−T)
 危なげな歩みで12時55分頃、沢のところに出ました。が、沢は滝状態。リポビタンDの気分で!?渡渉し、再びジャブジャブ登山道を登り、13時20分頃、東栗駒山山頂と思われる場所に到着。(三角点も標識も見つけられませんでした)
 ミヤマシャジンやウメバチソウなどのお花を愛でながら、14時42分栗駒山山頂に到着。雨のうえ風も強かったので、長居はせずに下山。
 下山道ももちろん沢状態で、靴をグシュグシュいわせながらの下山。
 15時07分天狗平、15時53分昭和湖に到着。ミルキィーブルー?の湖はとても美しく神秘的でした。硫黄の香りに・・・ちょっぴり温泉卵が恋しくなりました。16時05分地獄谷、16時15分苔花台、16時24分湿原(名残ヶ原?)を経て、16時50分、無事に須川温泉、栗駒山荘に到着しました。
 沢登りのような登山となりましたが、皆さんに助けられ、ドキドキ、ワクワク♪ご機嫌で登ることができました。とっても楽しかったです。ありがとうございました。
 ただ、川野さん、荻野さん、同じグループの乙訓山の会のみなさん、そして、理事長の田原さん(「どこのグループも見られるように動きます」とおっしゃっていたのに結局ほとんど私のグループについてくださっていました。)は、私のたどたどしい歩みにかなりドキドキ、ハラハラしていただいていたことと思います。みなさん、お疲れがでていらっしゃらないことを祈ります。(これからちゃんと勉強しながら(?)登りたいと思います。)


栗駒山荘にて


 ツアーから帰ってきて、今感じることは、被災された方に「がんばって」とは言えない、「がんばろう」とも言えない・・・「私ががんばる、できることをがんばる」ということ。
 道の駅等で出逢った宮城の方々はみなさん「ご苦労さま」、「ありがとう」って声をかけてくださいました。大変なのは私ではなく、ご自身なのに・・・
 「大変でしたね」と声をかけても、「畑ができるからまだよかったほうですよ」など、けして弱音を吐かず、前を向いていらっしゃいます。
 “被災された方は十分すぎるほどがんばっていらっしゃる”そう感じるから、被災された方が「悲しい」「悔しい」「疲れた」って言えるように、彼らを支えられる力になりたい。エゴかもしれないけど、力不足だろうけど、「微力は無力じゃない」を信じて、これからも自分にできることを探して、できることをひとつひとつやっていきたいと思います。
 今回のツアーでは多くの方々に大変お世話になりました。一つ一つご報告させていただきたいのですが、あまりにも多すぎて書ききれません。宮城労山の皆さん、京都労山の皆さん、滋賀労山、兵庫労山の皆さん、そして出逢ってくださった方々に心より感謝します。ありがとうございました。


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