東北が四国に変わって

赤石山系〜笹ヶ峰
山行日 2012年5月3日(木)〜5日(土)   報告:花折 敬司
メンバー <明  峯>花折敬司(C.L)、花折忍、<らくなん>奥西一博、網岡修、網岡国江
コースタイム
3日 網岡宅発17:00――道の駅「マリントピア別子」(新居浜市)
4日 マリントピア別子6:15――中七番(自転車残置)――筏津登山口7:15――(4回休憩)――赤石越10:20――東赤石山10:30――赤石越10:40――八巻山11:08――石室越12:37――西赤石山13:45――銅山峰ヒュッテ15:00(テント泊)
5日 起床4:45−発6:13――銅山越6:40――西山7:10-30――ツナクリ山7:44――獅子舞の鼻9:40――ちち山の分かれ11:20――笹ケ峰12:10-20――ちち山別れ13:00-10――一の谷越13:36――なすび屋敷跡14:06――中七番15:45
報  告
 連休後半、全国的に天気は大荒れ。奥西さんからどうするかの相談の電話があった。携帯ですぐに目的の東北の山々の頂きの詳しい天気を検索する。3−4日は雨で強風。5日は多少良くなるようだが麓は雨に変わってきた。これではせっかく遠くまで行っても観光になってしまう。中止と決めた。
 それでも4日間もある。どこか他に行ける所はないだろうか。我々は今までも予定の山域の天気が悪いと予め分かっているときは、よく他の地域のの天気を見て、よさそうな所へ転進することがあった。
 西の方を中心に探してみると、四国はましなようだ。奥西さんと相談して、まだ行っていないのでと言う「赤石山系〜笹ケ峰」に決め、網岡さんにも連絡する。
 長い縦走をするときには車の駐車地点までどう戻るかが問題になる。今回も自転車を使うことにする。登山口は別子銅山跡の筏津、下山口はそれより川上の中七番。ほとんど下りのようだ。奥西さんのママチャリを持っていくことにした。

<3日(木)>
 奥西さんと網岡夫婦をそれぞれピックアップ。天王山から高速に乗り、明石海峡大橋−大鳴門橋を渡って四国へ。高松自動車道を使って新居浜で降り、マリントピア別子へ。我々と同じようなカ―キャンプをする車が一杯だ。すぐに寝場所を決め車の中で乾杯をして就寝。

<4日(金)>曇り
 4時15分起床、6時過ぎに出発。明日縦走してくる山脈の下に掘られている大永山トンネルを越えて別子側に抜け、中七番の住友フォレスタの駐車場の木の下に自転車を残置する。そのまま筏津まで行き、今年四月から休業となったらしい筏津山荘の駐車場へ車を止める。
東赤石山 すぐに準備をして出発する。赤石山荘との別れまで瀬場谷登る。ここから東赤石山を目指す。濡れていて滑りやすそうな石を踏んでどんどん高度を稼ぐ。上部になるほど霧が深くなり、周りはほとんど見えなくなる。稜線近くで赤石山荘へ続く道に出て、少し山荘側に行くと赤石越への登りを右に折れ、少しで赤石越に着く。稜線に出ると風が強く、木々が揺れる音が大きい。
 荷物をデポして東赤石山を往復する。頂上には数人がいた。見晴らしは全くない。風も強く休むことすらできずに写真を撮ってすぐに戻る。
 八巻山まで稜線をたどる。雨具を着けるほどではないがガスは厚い。八巻山には小さな祠がある。山行の無事を祈って次に進む。ここから石室越の手前までが岩稜帯である。八巻山からの下りは濡れていて滑りそうで怖い。ルートファインディングしながら進む。
 一か所、リュックが使えそうになる3級ぐらいの岩場が出てくる。手袋をとって突破する。後続はリュックを手渡しで下して通過。濡れていなければ何ともないのだが、体が持って行かれそうになるほど風が強く、怖い思いをする。このルートにはあまり目印もなく、ルートを探しながら進むので時間がかかった。岩を越えたり巻いたりしながらようやく石室越えへ着く。木から滴が落ちてきて濡れるので、ここで雨具を着けることにする。
西赤石山 しばらく下り、大きな岸壁の下をトラバースして前明石山の分岐を分け、物住山へ登る。ここからは岩場は全くなくなり、前回来た時よりもうんと整備された縦走路を西赤石山へゆるい稜線を進む。この縦走路、前回来た時にはいっぱいの薊が道にかかっていて、ズボンを通してチクリチクリ刺さって痛かったことを思い出す。軽装で縦走しているグループもいる。相変わらず周りの視界は全くない。西赤石山でも来たという証拠写真を撮るだけで、景色がないので印象が薄い。
 ここからは下るのみ。東山の手前で地図にはない銅山峯ヒュッテへの近道があり、それを採ってヒュッテまで下る。銅山峯ヒュッテは個人経営で、テント場の料金を取らない。きつそうなオーナーのおばさんにしっかりレクチャーを受けてテントを張る。隣にも二張り、直前に着いた人たち3人が張っている。
 同じパーティーらしいがテントは別のようだ。中で落ち着いて我々はすぐに宴会を始めた。しばらくして見ると、隣のテントがない。撤収してどこかに行ったようだ。すぐ近くなので音ぐらいするだろうが、全く気が付かなかった。まるで狐につままれたようだとはこのことだ。どこへ行ったのだろう。摩訶不思議。翌朝までぐっすり眠った。

<5日(土)>快晴
 やっと天気が良くなった。雲一点もない快晴だ。ヒュッテの前では昨日のテントの人がいた。小屋に入ったようだ。それでもなぜ?せっかくテントを張ったのに撤収して小屋に入らなければならない何かがあったのだろうか。
獅子舞の鼻を越えて振り返る 銅山越えまでは30分の登り。別子から粗銅を背負ってここを越え、新居浜に出たようだ。さぞ大変だっただろう。それでもそれまでは別の所を通って3日かかったのが、ここに道ができて2日で越えられるようになったという。その後、先の銅山峯ヒュッテの所にあったトンネルが掘られて1日になったそうだ。余談。
 ここから西山までは植物の保護地帯になっていて、両脇にロープが張られている。この頂上は灌木の中だが、ここからアケボノツツジやミツバツツジが咲いていて目を楽しませてくれる。アケボノツツジを見るのは初めてだ。急なダウンアップでツナクリ山へ。ここにきて初めてツナク満開のアケボノツツジリ山が綱繰山だということを知る。おかしな名前だと思っていたが納得する。
 ここからが土山越えまで高差300mほどの急な下りとなる。スリップに注意しながらドンドン下る。昨日抜けた大永山トンネルの上を通って土山越へ。ここはトンネル出口からだと40分ほどなので次々と登ってきている。皆、アケボノツツジがお目当てのようだ。ここから獅子舞の鼻まで下ってきた分の登り返しとなる。花に出る前に大きな岩のごろごろしたところがあり、獅子舞の舞台と書かれている。エアリアマップには獅子舞の鼻も舞台も、名前が入っていなくてここに来るまで分からなかった。マップの1470mのピークが獅子舞の鼻だ。一人の若者がいた。今流行りの走って山を踏破する若者だ。
獅子舞の鼻 下りのアケボノツツジ 石鎚山から来て、夕べ笹ケ峯の丸山荘で泊ったそうだが、ずっと笹で走るどころではなかったという。ここからは相当の笹らしい。この登りで出会った地元の人のい言うには、ここからアケボノツツジのトンネルだということだが、一週間早いとのこと。それでも期待して進む。言われた通り、周りは芽が膨らみかけたアケボノツツジの木ばかりだ。満開になれば凄いだろう。それでも気の早いツツジが我々の目を楽しませてくれる。ミツバツツジもあるのだが、目はアケボノツツジにばかりいき、ミツバツツジが可哀そうなくらいだ。
 樹林が終わると笹が出てくる。ちち山別れまでは将に笹の中だ。道が見えないので段差があると大変だ。このあたりから網岡修さんの調子が落ちる。本人は体力不足と言うが、どうやらシャリバテのようだ。朝食を食べただけで、ここまでほとんど口にしていないらしい。これではエネルギーが出ない。「山ではもどしても食べろ。」というのが鉄則だが、出来ないらしい。こまめに口にできるようになってほしい。
 ちち山の分かれで、修さんが我々の荷物の番をしながら休憩をしていると言うので、4人で水を持って笹ヶ峰頂上笹が峰を往復することにする。ちち山の下をトラバースするのだが、登山道が笹の斜面につけられていて左片斜面で、歩き難い。それでも荷物がないというのは何と楽なことか。走るように笹ケ峰めがけて進む。マップのコースタイムはかなりシビアーだ。これほどのスピードでもコースタイムより少し早いくらいだ。50分で頂上に着く。
 林道の登山口から2時間少しで来られるので、たくさんの人が休んでいた。天気は最高。360度の大展望だ。遠く石鎚山が見える。そこからの縦走路もはっきり見えて「あれが瓶ケ森、これが伊予富士。」等と、しばし山座同定しながら休憩する。ちち山別れまで取って返す。途中で抜いた二人が「新幹線みたい。」と言うほど速く歩いた。ちち山別れでは「気持ちいい最高の時間を楽しみました。」とすっかり元気を回笹ヶ峰から越し方を俯瞰する復した修さんが迎えてくれる。そこにちょうど着いた3人組。あのテントを撤収した3人だ。あいさつを交わし、気になっていた昨日の訳を聞く。「小屋のおばさんが来て、予約の人が来なくて夕食が余るので食べてもらえないだろうかと言われ、それなら小屋に泊らせてもらおうということになったのです。」とのこと。やっと疑問が解けすっきりした。
 ここからはやはりさらに深くなった笹の中を一の谷分岐まで下る。そこからは「なすび」という妙な名前の屋敷跡を目指して下る下る。岩場があったりガレがあったり、なかなかの難路だ。なすび屋敷跡は雰囲気のいいブナの林の中にある。足元を見るとカタクリが咲いている。四国では一番広いカタクリの原生地だという。もう終わりかけていたがあちこちに咲いていて、十分楽しませてもらった。なすび屋敷の由来を、帰ってネットで調べると、「ここに峠を越える中持衆の宿屋がなすび屋敷のカタクリあり. 吹雪の晩山女がなすびを売りに来た. と言う妖怪譚が由来」だということらしい。
 さらに下って林道に出る。川沿いの登山道は崩壊しているという看板があり、林道を下る。脇に生えているタラの芽はすべて取られていたが、コシアブラはほとんど知られていないので残っている。それらを少し取りながら下り、最後は住友フォレスタの中に降り、端を渡って中七番の自転車残置場所に出て、今回の山行を終了した。
 予定通り敬司が自転車で車を取りに行く。下りばかりだと思っていたのだが、実際は途中のダムを越えるので、そこまでは長い、立ってこがなければならないほどの結構な急坂を登ることになる。車に戻って4人をピックアップして、人でごった返しているマリントピアの温泉でゆっくり汗を流して、帰途に着いた。途中のSAでゆっくり夕食を摂り、高速を走らせたが、淡路島で大渋滞につかまり3人を送って我が家に着いたのは朝の3時を回っていた。
<ヒヤリハット> 無し







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