穂高 池巡りと登攀(その2)

(平均年齢 61.55歳)高年パワー全開!                         報告者:花折敬司
   <12日(月)晴れ>
 3:40発――5:05〜20 5・6のコル――6:36 3・4のコル――9:22〜50前穂高岳―― 紀美子平経由――11:37〜51奥穂高岳―― 混み合い梯子で渋滞――ザイテングラードも大変混み合い途中からガレ場へ下り雪渓を下る――13:45涸沢 ラーメンがおいしかった 荷物整理――15:00涸沢発――17:20横尾 林の中 草の上にテント泊             
  <行動時間 15時間40分>

涸沢から雪渓へ 予定通り、登攀具と行動食や水などの必要最低限の装備を持って涸沢を出発。我々が一番だ。雪渓からガレ場に入るがまだ誰も来ない。X・Yのコルに着く少し前くらいに、雪渓上に、数パーティーが見え出す。コルで登攀具を着け、すっかり明るくなったので北尾根へと出発する。X峰までも岩場は出てくるが問題は無い。途中でX・Yのコルでコルにテントを張っていた方たちを抜かした。この人たち、私達よりもかなり年上のようで、歩き方が心もとない。大丈夫だろうかと訝りながら、我々は先を急ぐ。X峰からW峰への最後の下りは右側に巻道がある。
 W・Xのコルは狭い。すぐにW峰への登りにかかる。少し登ると後ろのパーティーが来たが、巻道が分からないらしいのでアドバイスする。突き当たった所を、我々は右(涸沢側)へ。急なルンゼ状をドンドン詰める。どれも浮いているようで、「岩は引っ張るなぁ。押さえるだけやで。」と声をかけながら登る。やがて左の奥又白側に出て少し登るとW峰は終わる。あまり登られている様子が見られなかったので、最近は奥又白側を登るのが主流となっているのだろう。(帰ってからあるHPを見ると、「奥又白側には3つのルートがあり、涸沢側はグレードが1ランク上」と書いてあるものがあった。)
 今回は、女性陣にリードをしてもらおうと思っていたが、網岡さんの調子が初日からずーっと上がらない。それV峰1ピッチ目をリードする奥西でも4日間、ここまで来ているガンバリには敬服するが、これではリードは任せられない。どうするかを聞くと、1ピッチ目でなく、2ピッチ目をするというので、急遽女性同士を変更して、まず奥西さんに任せる。忍はここへ来る直前に何度か岩登りをしてきてはいるが、まだ不安定だ。
 2ピッチ目をリードする網岡コルから10mほど上のビレー点で、網岡さんに確保をしてもらいスタートする。順調にザイルを伸ばして「ビレー解除」の声がかかる。「どうぞ。」声で、花折敬がプルージックでスタート。これくらいならミッ涸沢をバックにV峰を登るテルの2人はプルージックで十分というのが私の判断だ。忍も続き。確保点へ。最後を網岡さんが登ってきて、そのまま、釣瓶で次のピッチへと進む。最初は順調にザイルが伸びていたが、そのうちに伸びなくなった。どれくらい待っただろうか。声をかけても要領を得ない。何かトラブッているよU峰を懸垂する花折忍うだ。あまりにも長いので、安定した所でもあったので花折敬がプルージックを通したまま、フリーの様にして登る。緊張からか体調からか、どうもこのシステムのことを失念しまっているようだ。ミッテルの二人を、ザイルを引っ張って上げなければならないと勘違いして、いくら引っ張っても来ないのでパニック気味になっていたようだ。スタート時に「ザイルをインクノットで固定するんやで。」と言ったのを、セルフビレーのために固定すると勘違いしてしまったようだった。そのままの確保体制を維持してもらって、花折敬、忍と登っていき、奥西さんを確保して4人が合流した。次のピッチはほんの10mほどなのだが、奥西さんがリードして、本来なら、多分左の這松へ行かなければならないのだが、右奥までザイルを伸ばす。これでは前回と同じで、最後の抜けが少し難しくなる。
 ここでザイルを解いて、右奥まで詰めて、前回同様2mほどの4級程度のかぶり気味を左へ登らなければならない。前回はフリーで越えたが、今回は、忍は無理と判断して、敬司がフリーで越し、その上にある4本のハーケンに細いシュリンゲを通してカラビナをセットし、半マストでザイルを通し、ザイルの端にエイトノットで輪を作り、一人ひとり、其々の安環にセットして登ってもらった。これで登攀は終了となる。
 V登攀を終えて前穂頂上で峰とU峰はどちらがどうか分からない位近くて、続いている。U峰はクライムダウンも出来るが、念のため懸垂して、多くの登山者がいる前穂頂上へと到着した。
 記念写真をとって登攀具を片付け、奥穂へと向かう。稜線上を最低鞍部までと思っていたが、落石を起こしてもいけないと思い、人が多く渋滞気味だったが、紀美子平経由で戻る。奥穂からの下りも鉄梯子で渋滞。また、ザイテングラードの下りでも岩場で渋滞だった。途中、右側のガレ場に出られる所があったので、我々はそこに下り、その下で登山道に合流して、涸沢小屋手前の雪渓を下って涸沢ヒュッテへと戻った。
 ラーメンを食べた。今回持ってきているノンカップ麺と違い、やはり本物はおいしかった。これで元気を得て、荷物を整理した後、横尾へ向かって下った。横尾では林の中の草の上にテントを張り、延々15時間40分の行動を終えた。今までの数年にわたる我々4人の行動の中では、最長となった。

   <13日(火) 晴れ>
6:40発――9:30上高地 小梨平に荷物用にテントを張る 岳沢小屋の宿泊予約がとれる――10:17発――11:10風穴 天然のクーラー――12:20岳沢小屋――1:00コブ尾根の取り付きを確認に行く――15:00岳沢小屋 素泊まり                       <行動時間8時間20分>
 今日は移動日。ゆっくり横尾を出る。途中で、昨年通ったひょうたん池から茶臼のコルまでのルートを写真に撮ったりしながら、上高地へ。そこにテントを張り、荷物置き場として利用する。ほとんどの荷物をここに置き、岳沢ヒュッテに素泊まりの予約電話を入れてまだ氷の残る風穴 天然クーラー出発する。途中にある「風穴」で涼をとり、一息入れる。中を見るとまだ氷があった。涼しいはずだ。
コブ沢雪渓を取り付き点へ下見に 岳沢小屋で宿泊手続きを済まし、リュックを置いたままにして、明日の下見に出かける。コブ沢に入ってアイゼンを着ける。他は6本爪以上だが花折敬は4本爪なので、急なこの雪渓では時々滑って神経を使う。やはり急な雪渓では6本爪以上が必要だ。ドンドン登ると雪渓が終わるところにコブ尾根取り付き点出る。ここが切れていると岸に移るのは大変だが、幸いまだ繋がっている。奥西さんが岸に移って渡れることを確認して、雪渓を下る。スリップしても止めてもらえるように、奥西さんに先頭を行ってもらい、そのすぐ後ろに続き、慎重に下った。午後で雪も緩んでいたので、どうということもなく下れた。
 小屋に戻り、部屋に入って山装を解き、ビールで乾杯をしてくつろいだ。夕食はそれぞれ持ってきたジフィーズで済ます。

   <14(水)晴れ>
 4:17発―― 5:07〜14雪渓取り付き アイゼンを付ける――6:00コル――6:11小沢下部――7:11コブの下――8:00コブの切り立った壁の下から奥西リード――8:30コブ頂上―― 9:00〜20懸垂――10:30〜48 4つ目のコブ下――11:00コブ尾根頂上――11:35〜42天狗のコル――13:05岳沢小屋 かた焼きそばとおでんが美味しかった――15:20上高地
 平湯「お宿 栄太郎」にて宿泊                  <行動時間11時間>

雪渓から登山開始地点へ移る 明るくなる頃に雪渓に着くように、4時20分を目途に出発する。30分ほど前に先行者1組いたが、雪渓入り口で合流。横浜のカタツムリ山岳会の人達だった。用足しから戻ってきた一人の体調が良くないようだ。雪渓は向こうが先発。しかし、その人達は、私達が取り付く所の一つ下側で岸に移った。その間に我々は上部へ行き、岸に移ってからアイゼンを外して、左上するルンゼ状を登り始めた。(このルンゼは如何にも左上へ登っていけそうなので、すぐ分かる。)
コブ尾根稜線まで、ルンゼ状ガレを登る その時に下から登ってきたが、一人が遅いために我々が先行する。ズーッとルンゼ状を、ただただ登るのみ。やがてマイナーピークが下に見える稜線上に出る。ここで休憩。最終日になっても網岡さんの調子は今一だ。いつもの快活な言葉と笑顔が無い。それでも最終日までついてくるこの根性というか精神力に、本当に驚かされてしまう。
マイナーピーク上部の稜線に着くここからコブ下までは、いくつかピークがあるが、基本的には稜線を進む。私が持っている30年以上前に書基本的にコブまで尾根上かれた本には左の斜面から、コブ下に続く小沢に入るように書かれているので、それを探しながら進むが、踏み跡は稜線上だ。コブ下に続く小沢がすぐ近くに見えるピークで左側へ降りようとしたが、どうもおかしい。結局稜線上の踏み跡を信頼して、それを進む。次のコルへ下りるところを探していると、シュリンゲの懸っているところがあった。これを持ちながら1段下りると、難なくコルに立てた。ここからいよいよコブの登りが始まる。インターネットで得た情報ではザイルを使ってい丸い岩壁 左側に上がって回り込むる写真がたくさんあるが、どこで使うのかが分からない。我々は残置シュリンゲがある個所フリーでコブ下の丸い大きな岩壁までたどり着く。その右側に登れそうな右上するクラックがあり、多分これを登るのだろうということで準備してもらっている間に、敬司が左端のテラスに登って左に回り込む。すると簡単な棚が続いている。それを回ると、大きな丸い岩壁の上で、上部の切り立った壁の下に、どうということもなく出た。切り立った岩ノ下 この後ろのハイマツへ戻って、リュックを背負い、切り立った岸壁の下まで行く。ここからが登攀になるのだが、資料を読むと「この壁の基部を左にトラバースしていく」と書いてある。左端にある這松のテラスに登り、稜線の左側を覗きこむと、簡単なフェースが続いている。フリーでも十分登れるが、高度感があるのでザイルを出すことにする。
 奥西さんにリードしてもらう。稜の向こう側に姿が消え、ザイルがどんどん伸びる。40m以上登った所で支点を作っているようだ。「どうぞ」の声で、網岡さん、花折忍の順で登っていく。最後に花折敬が登り、たハイマツから回り込む所った1ピッチでコブの登攀が終わった。あまりにもあっけなかった。ちょっと拍子抜けだ。
 ここからは20mほどの懸垂1回でコブのコルに降り立ち、後は、右手にジャンダルムを見ながら、ただひたすら登るのみだ。この懸垂は体が左に振られる。最初に降り始めた奥西さんが振られて3mほど左へ飛んだ。上から見ていて左(降りている奥西さんからは右)に岩の突起があるので、それの左(奥西さんからは右)にロープを通して降りてもらうように指示した。4人とも難なくコルに降り立った。
修了点へ 頭に向かてドンドンと高度を稼ぐ。かなり登ってコブを見ると、その左側(奥穂側)に小さく人影らしきものが白く見える。後続の2人だろうか。しかし、その後、30分くらいたってもそこにいるままで動かない。何かと見間違えたのだろうか。あの人たちが登ってきている様子は無い。どうしたのだろうか。
 コルから登ること1時間40分でコブ尾根の頭に立った。ここは西穂〜奥穂の縦走路だ。すぐ右にジャンダルムが見える。数名の人が頂上に立っている。また、そのずっと右には、多くの人がいる奥穂高岳もあコブのコルへ懸垂る。360度の大展望をほしいままにできる。コブの向こうの霞沢岳を見ながら、新島々から入り徳本峠に泊まって、霞沢岳に登ろうと、次の計画の話も出た。しばらくゆっくりして、下山にかかる。天狗のコルまでは、1時間くらいかかるかと思っていたが、30分程だった。下山路のコースタイムなど調べてもいなかったので、早く着いたのは嬉しかった。
ここから岳沢へ、最初はガレ枯れの沢を下り、やがてお花畑に入る。今が盛りの花、既に最盛期を終えている花など、たくさんの花が目を楽しませてくれる。今朝登り始めたコブ沢から、今日一日の登りを振り返りなコブを振り返るがら雪渓を見上げる。
13時に岳沢小屋へ着く。かた焼きそばとおでんで腹ごしらえをして、携帯で中尾温泉観光案内所に電話をして、一万円前後ということで今日の宿を紹介してもらう。宿の名前は「栄太郎」。一度泊まったことがあるが、印象に薄い。大したことは無かったのだろう。すぐに予約するととコブ尾根の頭もに宝タクシーにも迎えのタクシーを予約して、上高地へと下山した。
 ところがこの「お宿 栄太郎」、大正解だった。部屋は普通だし共同トイレでまったくたいしたことは無かったが、料理が本当に良かった。まず、馬刺しがドンと出た。それに山菜、アユの塩焼き、飛騨牛の一口ステーキ等々。最後に出たキノコご飯も、小さな珪藻の七輪で、固形燃料で温めるのだがお腹いっぱいで食べられない。ラップをもらっておにぎりにして、次の日に食べた。そのおいしかったこと。温泉も、小さいが露天風呂もある。ゆっくりつかって6日間の汗と疲れを流すのには、良い風呂、泉質だった。一泊2食で10650円也だ。次にこの辺りで泊まる時も、ここを利用することになるだろう。お勧めの宿となった。
天狗のコル
 我々の6日間の山行はこれで終わった。1日目で計画は変更になってしまい、完遂することは出来なかったが、全体を通して素晴らしい山行になったと、全員が思っていると思う。4つの池を一発ではつなげなかったが、昨年と今年で全てを踏破した。北鎌と北穂東稜はカットせざるを得なかったが、どちらも全員一度は踏破している。前穂北尾根とコブ尾根は全く問題なく踏破出来た。コブ尾根は登攀というよりは、長い長い尾根登りだったので、登攀ということから言うと物足りなかったが、それでも4人全員で登れたことに大いに満足できるものだった。
 今回は4つの池を穂高から槍へ進み、その4という数字にこだわって4つの岩稜を穂高へと戻ってくる計画だった。これらを繋ぐことに何の意味もない。高年となった我々4名が4年前から続けている長期縦走(2010年の白馬〜西穂9泊10日計画で双六までの8泊9日、2011年の黒戸尾根〜光岳8泊9日で完走、2012年の早月尾根〜西穂7泊8日で完走、内1日停滞)を終了し、次はと考えた時、この計画に思い当った。
ところが、普通の道でない所を行くのには、やはり荷が重かった。水も入れて20kgにはなっていなかったが、それでもこれだけの荷を持っての藪こぎや岩稜登攀には、かなりなリスクが伴う。安全第一を考えるなら、少なくとも登攀は軽量化してやるべきであると行動しながら考えるようになった。
 また、今回は途中で何回か、大きく計画を変更した。1日目はひょうたん池から奥又白池への岩壁のトラバースをやめて、一旦下って横尾尾根へ。また、北穂池ではルート探しで疲れて、北鎌組と合流できず、北鎌と北穂東稜の登攀を中止した。軽量で前穂北尾根とコブ尾根を登るために、移動日を設けて、横尾へ下り、岳沢へ登り返すようにも変更した。このような変更は、その都度みんなに提案し、話し合い、合コブ尾根の頭意して決めたが、どうすればより安全に計画を遂行できるかの立場に立って、その場その場で考えることの大切さを再認識させてくれることになった。
 計画から言ったら8分の5の達成ではあったが、全体を通してとてもハードな山行となった。平均年齢61.5歳というこの年で、これだけのことが出来たことに、十分満足のいくものとなった。京都労山はもとより、日本中の高年の中でもこのような山行をしている者はそう多くは無いだろう。そのことに自信をもって、次の計画を立てていきたい。他のメンバー3人に、心から感謝したい。
  楽しい6日間をありがとう。



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