夏山 穂高集中 第二弾

北アルプス 奥穂高岳

山行日 2013年8月15日(木)〜17日(土)
参加者 永井(CL)、網岡修(運転)、竹田(運転)、土岡、吉岡(救護)、吉田(会計)、石田
中塚陽(SL)、中塚光(記録)、 計9名
行 程 15日 大久保駅 ⇒沢渡 ⇒上高地 ⇒横尾山荘
16日 横尾山荘 ⇒涸沢 ⇒ザイテングラート ⇒穂高岳山荘 ⇔奥穂高岳
17日 穂高岳山荘 ⇒涸沢 ⇒本谷橋 ⇒上高地 ⇒中の湯 ⇒京都

 


  <第1日目 8月15日   天気…晴れ> 
 6:40 網岡車、竹田車に分乗して近鉄大久保駅前を出発
10:00 東海北陸自動車道松木峠PAで小休止。熊注意の看板がでている。6月・7月に近くで出没したらしい。
12:08 沢渡岩見平に到着。車を駐車場に置き、タクシー2台に分乗し、来た道を釜トンネル入り口まで逆戻りして、上高地に向かう。
12:38 上高地バスターミナルに到着。大勢の人が列をなしてバスを待っている。
観光客と登山者が入り混じっている。
12:50 ウオーミングアップをして、上高地バスターミナルを出発。
河童橋では大勢の人が写真を撮りあっている。小梨平のキャンプ場で信州大学山岳部と書かれた大きなテント2基が眼に留まる。住民はどこかに出かけている模様。
13:39 明神橋に到着
14:33 徳沢に到着。ここにも多くのテントが張られている。
15:40 横尾山荘に到着。横尾では入山者を数える自動計数器が設置されている。また、大きな『横尾野営場付近案内』看板が立てられている。焼岳〜槍ヶ岳に及ぶ地図上に、この夏場に発生した事故を知らせる小さなカードが当該場所付近に添付され、看板の右下には事故一覧表も貼られている。実に生々しく、気が引き締まる。
山荘では夕食前に風呂に入って汗を流す。石鹸が使えなくともすっきりとして気持ちが良い。
部屋は2段ベットで左右に4人ずつの計8人収容。パーティーは9人なので、竹田さんが隣の部屋に移動してくれた。(申し訳ありません。) “部屋での飲食は禁止”の張り紙は小さくなって9人のささやかな宴会を見守ってくれた。
夕方には山のほうに白い雲がかかりだしたが、深夜には星が綺麗に見えた。

  <第2日目 8月16日   天気…晴れ>
 5:30 朝食
 6:38 横尾大橋を背に集合写真を撮り(天気も良く、皆さんの顔もやるぞー、と元気いっぱい)、横尾山荘を後にする。
 6:53 本谷橋に到着。山から下りてきた人、これから登る人が川原で思い思いに休憩している。中には川の水で上半身の汗を拭いている男性もいた。歩き出して直ぐに、下山してきた人から「この先は雪渓が残っています。注意して登ってください。」と教えてもらう。
 8:55 涸沢カールが眼前に見え、その手前に色とりどりのテントが目に入いりだすと、涸沢小屋に到着。 テラスで思い思いに休憩をとる。喉の渇きに堪らず、ソフトクリームを口にする。涸沢カールと穂高の山の景色を満喫する。今日の宿泊地、穂高山荘に向けて出発。
11:30 少し長めの休憩。山荘のアンテナ線が見えようになると、体の動きも自然と軽くなる。
12:15 穂高岳山荘に到着。石畳のテラスには大勢の人が休んでいる。山荘から奥穂高岳への登り口は人の列が続いている。時間はまだ十分にあること、天気の良いこと、誰もが体力的に余裕のあることから、予定通り全員で奥穂高岳に上がることになった。
12:55 奥穂高岳の頂上を目指して出発。
13:45 奥穂高岳の頂上、祠の周りに全員で登る。先ほどまで見えていた向こうの稜線、歩いてきた稜線がガスの広がりとともに隠れてしまう。
下山途中、「ライチョウだ。」との声が聞こえてくる。カメラを携え見える場所まで移動する。大声にも、人が近くにいても悠然としたものである。よく見ると、所々に白い羽毛が残っている。
14:40 穂高岳山荘に戻る。我々の泊まる部屋は2階の畳部屋、“らくなん山の会”の9人と単独行の男性一人、フランス人の男性二人、計12人になった。今日は宿泊客が多く、布団は二人一枚とのこと。続々と人が山荘に入ってくる。向いの部屋も急に賑やかになった。聞き耳をたてると韓国語が飛び交っている。数日前にネットで穂高岳山荘の宿泊状況を調べたら、16日は大口の団体予約があり混雑が予想されると、掲載されていた。それはどうもこのことらしい。 夕食までには時間があるので、外に出て全員で乾杯する。目標の達成に満足感がいっぱい。

  < 第3日目 8月17日  天気…晴れ>
 4:50 日の出(5時10分?)を見ようと皆が起き出して外に出る。もっとも、熟睡のできる状況でもなかったのだが。眼下の涸沢カール、前方及び左右の山々、右手遠方の八ヶ岳連峰一体まで雲に覆われている。上空も薄雲に覆われ、5時も20分を過ぎる頃まで待ったが、期待した日の出は見られなかった。
 5:30 朝食
 6:10 穂高岳山荘を後にして下る。
 7:07 小休止。この時間になると下から登ってくる人も増えてくる。早朝に空を覆っていた雲は消えてしまい、今日も暑い。
 7:50 涸沢小屋に到着。奥穂高岳の景色に名残を惜しんだ。
 9:17 本谷橋に到着
10:25 横尾山荘に到着
11:19 徳沢に到着し、昼食休憩
12:00 徳沢を出発
12:42 明神に到着
13:35 河童橋を通りこしたところで望遠鏡の後ろに人だかり。奥穂高岳と西穂高岳が見えるように一台ずつ望遠鏡が設置されている。永井さんと二人で西穂高岳を覗いてみると、稜線を歩く人が良く見える。 
13:45 上高地のターミナルからジャンボタクシーに乗る。客待ちのタクシーの運転手が、2台のタクシーで行くよりもジャンボのほうが安いよ、と教えてくれた。
14:10 沢渡岩見平に到着
14:24 網岡車、竹田車に分乗して沢渡岩見平を後にする
14:44 平湯温泉の発祥の地と称される『神の泉』に入浴。心身ともにさっぱりとなって、帰路につく。

  【感 想】
 ・予想外にも全日好天候に恵まれ、和気あいあいの素晴らしい山行を経験できた。これだけではもったいない。もう少し足を伸ばして周りの山も歩きたい、そんな気持ちにもなった。(それにはもう少し訓練も必要か。)

・私の山の会の在籍は長いものの、登った山はごく僅か。穂高の山に登ったのは今回が初めて。16日の穂高岳山荘で、「初めて奥穂高岳に登った人は?」と網岡さんから問われて、他の三人と一緒に手を上げる。これからは時間の都合をつけ、これまでよりは山に登りたいと思う。

 ・ザイテングラートの途中で、“8/7 転落事故”の札が吊り下げられていた。死亡事故である。「こんな所で、どうして」との思いもよぎるが、事故の発生は得てしてそんなものかもしれない。そう思って他の登山者を観察すると、ヘルメット姿も多い。涸沢小屋では“ヘルメット貸します”の小さな看板が目に入った。吉岡さんが、「岩歩きの訓練をしておいてよかった。」と言われた。予めバランス感覚をつんでおけば、体得した感覚が状況に応じて無意識のうちに体を動かしてくれるのだろうか。確かに訓練の有無、訓練の差は大きいと思う。

 ・穂高岳山荘の部屋の中で皆がリュックの整理をしている際に、竹田さんのリュックからひときわ大きな袋が現れた。おつまみ用の菓子がいっぱい詰まっている。とても食べきれそうもない。(厚かましい発想ですね。) お酒の箱もドンと。「わあー」の歓声が周りからあがる。そして感謝をこめた笑い。
   心地よい空気に触れ、景色を眺めながら外での楽しい宴会は格別である。

・近年、韓国から日本への登山客が増えていることは、韓国人の登山事故を報道するこの夏のニュースで知ったばかり。この穂高岳山荘でも40人は越える韓国人団体の宿泊を知るにつけ、そのブームの大きさにうなずける。日本を少しでも知ってもらう点でも、山荘の経営に寄与している点でも、その訪日旅行は歓迎すべきことなのだろう。その一方で、個人的には不快を覚えることもあった。彼らの何人もがタバコをスパスパ吸い、その匂いがあちこちから漂ってくる。彼らだけのものとは言い切れないが、テーブル下のタバコの吸殻は小さな山をなしていた。その吸殻も翌朝には一応は綺麗に片付けられてはいたが。折角、穂高の綺麗な空気を吸おうとしているのに、内心ムッとする。ここでは禁煙規制はないのだろうか。

・16日の夕食と17日の朝食はいずれもお替りもできずに食べ残す。どうも体が受付けない。そのつけは見事に翌日17日に涸沢小屋を過ぎて本谷橋までの区間で現れた。登山道を下っている足元が普段よりも覚束ず、おかしい。どうにも下腹に力が入らず、お腹の空いていることに気づいた。本谷橋についてアンパンを口に入れて落ち着き、普段の足取りに戻ることができた。そんな様子を後ろ歩く網岡さんはどうも見抜いていたようだ。恥ずかしいことではあるが、気をつけないと拙い。事故に繋がる可能性もあるので。

・終始どんと構えていたリーダーの永井さん、車を運転していただいた網岡さん、竹田さん、土岡さん、どうも有難うございました。



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