ネパール アンナプルナBCトレッキング


カトマンドゥからポカラに向かう機内から
山行日 2013年10月8日(火)〜10月23日(水)
参加者 奥西(CL)、福島亮(会計)、福島緑(調達)、小泉、中塚陽、中塚光(渉外)  計6名
行 程
日目 月/日  行程  宿泊場所の形態
 1 10/8  関西空港集合(22:00)  機内
 2 10/9  関西空港(0:30)〜バンコク〜カトマンドゥ  ホテル 
 3 10/10  カトマンドゥ 〜ポカラ=ナヤプル・・・シャウリバザール ロッジ 
 4 10/11  シャウリバザール・・・ガンドルン ロッジ 
 5 10/12  ガンドルン・・・チョムロン  ロッジ
 6 10/13  チョムロン・・・ドバン ロッジ 
 7 10/14  ドバン … マチャプチャレBC(MBC)  ロッジ
 8 10/15  MBC … アンナプルナBC … ドバン  ロッジ
 9 10/16 ドバン … チョムロン  ロッジ
 10 10/17   チョムロン … ランドルン  ロッジ
 11 10/18   ランドルン … ダンプス  ロッジ
 12 10/19   ダンプス … フェデイ = ポカラ  ホテル
 13 10/20  ポカラ 〜 カトマンドゥ(市内観光)  サンタさん*の自宅
 14 10/21  カトマンドゥ(市内観光)  ホテル
 15 10/22  カトマンドゥ 〜 バンコク 〜 関西空港  機内 
 16 10/23  関西空港到着(7:00)
   〜:飛行機  =:車  ・・・:徒歩
  【現地旅行会社】Lama Adventure Treks & Expedition
                  社長  Santa Lama(サンタさん*)
                   ガイド Yang Norbu Lama(ノルブさん)
 トレッキング・スタッフ 副ガイド兼料理担当 Sanjay Lama(サンジャイ君)
                 ポーター Milan Magar (ミラン君)
                       Santosh Magar(サントス君)
                       Bishal Magar (ビサール君)
 
第1日目 10月8日(火) 省略
 

 関西空港〜バンコク〜カトマンドゥ
第2日目 10月9日(水) 曇りのち晴れ                       記録:中塚M
バンコク国際空港でカトマンズ行きのボーイング777-200機に乗換える。約3時間半後、待ちわびたネパールのカトマンドゥ、カトリブヴァン国際空港に到着。(現地で12時25分。日本では9時10分。日本との時差は3時間15分。)税関で各自US$25を支払い、ビザを取得して入国手続きを済ませる。
白い半袖のワイシャツを着て満面笑顔で両手を振っているサンタさん(日本語ができ、奥さんは日本人)とトレッキングガイドのノルブさん(日本語ができる)の二人の出迎を受け、一人一人にマリーゴールドのレイを掛けてもらう。土埃が凄いので直ぐに福島緑さんが、そして写真を撮った後、次々と残り5人もマスクを着ける。

左から3人目がサンタさん。(空港にて)
ネパールで最大の祭りの時期で、道路際の空き地には多くの露店が無造作に品物を並べている。通りでは自動車や単車がひしめき合い、自分の車が優先だと言わんばかりに警笛を鳴らしながら我先にと通り抜けて行く。我々の乗った車の運転手も同じように度々警笛を鳴らしながら、この混雑の中を平気な顔で運転している。日本なら、傷だらけであちこち凹み、とっくに廃車になっているようなたくさんの車がごく普通に走っている。見た目の綺麗な車は数少ない。
ホテルに着いて、サンタさんから行程が一部変更されたスケジュール表を貰う。
夕方、ノルブさんの案内で歩いてレストランに出かける。歩道も車道も工事中。大げさに言えば、まるで土埃の中を歩いているようなもの。そのような通りから一歩入り込むと、車の喧騒も土埃もまるで縁がないレストランがあった。
初めて口にするネパール料理は珍しくもあり、美味である。もちろんお酒も。サンタさんも途中で合流して話が盛り上がる。サンタに日本紙幣1万円をネパール紙幣(1000ルピー×10枚、計1万ルピー)に両替して貰い、明日からのトレッキングや買い物にも必要となる現地通貨を手にする。




カトマンドゥ 〜ポカラ=ナヤプル・・・シャウリバザール
第3日目 10月10日(木) 晴れ                             記録:中塚M
8時過ぎにホテルを出てカトリブヴァン国際空港に向かう。
 空港の国内線ターミナルから双発機でポカラへ向かう。同行のサンタさんとノルブさんの計らいで、運よく全員が飛行機の通路右側座席に座り、25分の飛行中にヒマラヤ山脈の雄大さを存分に眺めることができた。(冒頭の写真)
 ポカラ空港ではこれからお世話になる副ガイドとポーターの計4人の若者と合流する。(彼らは前日のバスで、カトマンドゥからポカラ入りをした。)彼らと共にバスに乗り、空港からさほど遠くないレストランで昼食を済ませる。ここでトランク
からトレッキング用の荷物を取り出し、バッグに詰め替える。
 バスは街を抜けて山道を走りだす。ポカラの町はずれでは幾つものヤギの群れを見る。お祭り用にあちこちから集められたという。先のレストランからも、走る車中からも、マチャプチャレ(6,993m)、魚の尾ヒレとも呼ばれる、が眺められた。
 走ること約1時間20分、車はトレッキングの出発地ナヤプル(1,070m)に到着。3人のポーターは我々のバッグを白い大きな袋に入れ、袋についている紐を器用に頭に掛けて担いで先に歩き出す。 
程なくして、荷物を積んでこれから目的地に向かうロバ、あるいはこの地に帰ってきたロバに出会う。更に歩いて行くと、モディ・コーラ川とブルンディ・コーラ川の2つの橋を渡った所で、それぞれツーリスト向けのチェックポイントが設けられている。最初のはネパールのトレッキング会社団体が設置したもの、2つ目はネパール政府が設置したものという。
 道の両側に、果物屋、仕立屋、飲料店、レストラン兼ロッジ等が並んでいる。ある店の前で2人の女の子が遊んでいた。近づいて見ると、ケンパをしている。思わず懐かしさを感じると共に、ネパールに親近感を覚える。仕立屋さんの中では、依頼主の女性(?)や子ども囲まれてに職人さんがにこやかにミシンを踏んでいる。
 2つ目のチェックポイントを過ぎると家並みは少なくなり、ポツンポツンと距離を置いて地味なレストラン兼ロッジ兼住居の建物がある。歩きだしてからの休憩はほぼ30分毎。ある休憩場所で、道で遊んでいる子どもが我々に近づいてくる。「ナマステ」とお互いに挨拶をする。「candy」とねだってくる子に、ガイドのノルブさんがポケットから飴を取り出して渡す。また、僕が記録をつけようとボールペンを取出すと、別の男の子が「pencil? One pencil?」と聞いてくる。これはとても渡せないと思い「One pencil」と答えると、納得したような表情になる。見た目は屈託なく、9歳だという。
 そうこうしているうちに、今日の宿泊地シャウリバザール(1,220m)に到着。夕食前のミルクティーがとても美味しかった。
  

国を挙げての祭りダサイン(10日間、多くの人が
仕事を休む。学校も休み。)の真最中。
あちこちから連れてこられた羊の群れは至る所で
見られた。(バスの中から)


       マチャプチャレ(別名 魚の尾ヒレ)⇒⇒



 シャウレバザール 〜 ガンドルン へ
第 4日目 10月11日(金)天候 晴れ  トレッキング2日目            記録:福島W
 日本の田舎にいるような田畑や花々に囲まれたすてきなテラスで朝食。メニューはお粥、オムレツ、トースト、紅茶。マリーゴールド、バラ、サルビア、コスモス、百日草、ヘチマ・・・それにキャベツ、稲穂。違うのは大木のポインセチア、ブーゲンビリアとモディ・コーラ(氷河の溶けた水が轟音をたてて流れる白い川)。そして此処はやっぱりネパールだ!! 白銀を頂いたマチャプチュレが朝の雲から姿を見せてくれた!

  シャウリバザール⇒ガンドルンの途中(棚田と家)

 8時出発。石畳の急坂を登ると少し平地があり、田畑や民家もちらほら見える。子どもの声がするなと思っていたら保育所があった。異年齢の小さな子たちが細い石畳の上で走り回っていたり、田んぼから飛び降りていたり、大きな石を滑り台にして遊んでいる。大人の姿は建物の中に一人見えたが子どもたちは自由に自然を相手に遊んでいる風だった。 遠くにはみごとな棚田やロッジらしき建物が見える。途中嫌がる羊を引っ張るおじいさんや子供に出会う。売られて行くんだろうな。荷物を運ぶロバ達に道をゆずりながら今日の宿泊地ガンドルンに到着。11時30分。美味しいミルクティーを頂いた後、昼食。メニューはチャーハン、ボイルジャガイモ、温野菜(人参・キャベツ・カリフラワー)りんご。その後、シャワーをする者、洗濯をする者、ぼ〜っとする者交代で休憩。ロッジの下に学校が見えるがお祭りで休みのため静か。グラウンドのバスケットゴール近くで2,3人が遊んでいる。静かな山の中、のんびり、ゆったり時が流れる。
 4時から近くにある山岳博物館見学。昔の生活用品や衣類、狩猟品などが古民家に飾られていた。ロッジに戻ってクッキーとミルクティーでほっこり。マチャプチュレの山頂がきれいな夕陽に見え隠れしてドキドキするほど美しい。本日の夕食メニューはベジタブルスープ、チキンのソテー、ライス(カレー添え)、蒸しキャベツ、フライドポテト、ポップコーン。Oさんは体調が悪く夕食をパス。新しいベッドマットが運び込まれていた。ポーターさん一人で3枚も担がれる。明日総入れ替えをするそうで「あなた達はアンラッキー」とロッジのオーナー。ところが急きょ我々の部屋は新マットに。さすが常連ガイドノルブさん!ありがとう!!

  夕日のマチャプチャレ(ガルドンのロッジから)    アンナプルナサウス(ガルドンのロッジから)



  ガンドルン 〜 チョムロン
第 5日目 10月12日(土)天候 晴れ  トレッキング3日目             記録:福島M
 6時起床 7時朝食 8時出発のパターン。朝5時半に目覚めてしまった。ロッジの2階から朝日に輝くアンナプルナサウスとマチャプチャレが大きく見える。
 朝食はお粥とオムレツとパン。お粥に日本から持ってきた梅干しや塩こぶを入れて美味しくいただく。Oさんは胃の調子が悪くパス。みんなはちょっと心配したが、ガイドのノルブさんは本当に心配そうだが、我々は「彼はストロング」だから大丈夫と安心させる。
 今日の行程は、ガンドルンから少し下ってコムロン(峠の村)に登り、450m下ってキムロンコーラに出る。川を渡って対岸の山の斜面を登ってチョムロンに至るというコース。
 快晴で太陽がまぶしい。みんな半袖でサングラス。日焼け止めをしっかりしないと日焼けしそう。途中若い外国人女性2人がガイドなしでタンクトップで歩いていく。ロバさん運送隊が我々の横を通っていく。その間みんなで道を開ける。峠のコムロンに9時40分着。Oさんは体を横にして休憩。ここからは下り坂1時間ほどで谷底へ、キムロンコーラの河原に着き、対岸へ橋を渡る。一段上がったところにあるロッジで昼食。11時10分。ソース味の炒飯と温野菜、トマトソースのマカロニ、丸々茹でたじゃが芋。Oさんは水分のみ。ゆっくり休む。庭にほうきの木?ネパール語でカルキプルが生えている。
 12時30分出発。ここから380m登り返す。南向き斜面で太陽が照り付け熱いし首が日焼けしてくる。休憩を繰り返しながらヒルトップに13時50分。そこから1時間ほどでチョムロンに着いた。村の中では高台で眺めは素晴らしい。ロッジ2階の二部屋に宿泊。早速シャワーをして洗濯。夕食はピザとモモ(今日のモモはシュウマイ風だった。)と巨大春巻きにポテトチップス。缶ビールを2本おいしく飲みました。



 Chomrong→Doban
第 6日目 10月13日(日)  ○→◎→●                      記録: 中塚W
 ロッジの庭から、朝日に輝くアンナプルナサウス、マチャプチャレが昨日よりさらに大きく見える。今日も良い天気。
 村のメインストリートの石の階段を川岸まで下る。上から覗くと平地に家々が並んでいるように見えるが、パン屋さん、ケーキ屋さん、ピザ屋さん、土産物屋さん、雑貨屋さん、畑も田んぼもみ〜んな坂道の両側に並んでいる。黄色く実った棚田の中では、脱穀の作業が始まっており、籾をより分けている大人の間を子どもが走り回っている。懐かしさを感じる田園風景だ。と、ぼおっと見ながら歩いていると、Mさん急にストップ!足が止まる。牛が朝ごはんを求めて移動中、道を塞いでいたのです。(私たちが、おじゃましているのだから仕方ない。)
 チョムロン川にかかるつり橋は出来たばかり。すぐ下に古いこわれた橋があり、そのたもとで、ロバ隊のおじさんが川砂を袋に詰めてロバに乗せていた。ここから、いよいよ上りになる。
 10時30分 Sinuwaでティータイム。時間的にも高さでもほぼ今日の行程半分の所。ここから先は、山のてっぺんまで続く棚田や民家は見えなくなり、緑の森が続く。いよいよSANCTUARY(聖地)というわけで、牛やロバは入れない。食べ物も肉類はだめで、芋・豆・野菜が主となるとのこと。おかげで、道のフンを気にしないで歩けるようになった。苔むした大きな木に寄生したピンクのラン、ブルーの羽を広げたきれいな蝶が目につく。
 Banbooは、名前の通り、竹林に囲まれたロッジ。入り口に 小さな発電所がある。昼食は、今回初めて登場の野菜チーズサンド。(Oさん、今日は回復率7割で、ほとんど食べられません。)1時間を越すゆっくりしたランチタイムだったが、じっとしていると寒くなり、それぞれが上着を羽織る。これも、今回初めての経験。頭上をガスが覆い、まわりがだんだん暗くなってくる。森の中はさらに暗く感じられ、みんなただ黙って歩く。
 14時20分 Doban着。外のテーブルで温かいチヤをいただいた後、部屋に入る。ポツポツと降り始めた雨が、だんだん だんだん強くなる。到着後だったのは、ラッキー!けれど、雨音は次第に大きくなり、気温は下がって、寒さが増す。今までのロッジと違って、トイレ・シャワールームが外の別棟にあるのもミノムシ条件だ。ドデカシートで、身体を拭いたら、スースーして寒かった。着込んでベットに潜り込み、天井を見上げると、天井は竹製(編んだもの)。そういえば、途中、バンブーハウスや竹編みの板が置いてある所があったなあ。そうこうしているうちに眠ってしまい、夕食の時間になって起こされた。温かいチキンスープが美味しい。
 19:30 明日のBC入りに備えて、超早めの就寝。
       脱穀風景             昼食のサンドイッチ            寄生ラン



 ドパン〜マチャプチャレBC
第 6日目 10月14日(月) 天候  雨、雨、雨・・・ずっと雨               記録:小泉
 ドパンのロッジ=深夜、小降りの時もあったのに目覚めると本降りの雨。本当によく降るね。5時過ぎ起床、身支度していると6時にはサンゼイが紅茶を運んでくる。
 6:30 お粥、トースト、オムレツの朝食。奥西さんが「食べたいと思うようになった」と回復。梅干し、漬け物、おかかに醤油で「おいしいな〜」と味わう。やむ気配もない雨の中を
 7:40 カッパ姿で出発。
 9:30 ヒマラヤホテルの軒下で立ったまま休憩。サンゼイがずぶ濡れなので着替えている。彼のカッパはあまり防水効果がないようだ。
10:30 ヒンクケープはちょうどいい休憩ポイントだ。

 マチャプチャレベースキャンプの途中、              マチャプチャレベースキャンプ
 前方にデウラリの村が見える 
11:10 テウラリのロッジに到着。昼食はスープスパゲッティ、温キャベツ、ゆでたジャガイモ、紅茶、暖まって、12時に歩き出す。羊の群れに出会った。だんだんジャングルがなくなり、何度もワイルドな橋を渡りながら、穏やかに高度を上げていく、左右の山から何本もの滝が高さを誇示するように落ちてくる。晴れていたら見事だろう。
 2時前、マチャプチャレBCの青い屋根が見えてきた。もうすぐだ、と気持ちが弾む。サンゼイと福島亮一郎さんがどんどん先に行き、姿が見えなくなった。分岐で「どっちかな?」と迷い、右へ進む。その先に青い屋根が見えていたが、しばらくして「ストップ!」の指示で分岐に戻り、左へ進む。「ノルブさん、もうちょっと早く気づいてよ!」これで5分ほどロスしたかな?
14:15 にマチャプチャレBCに到着。ここでじぇじぇ!ノルブさんが大声でわめくロッジの親父さんに頭を下げている。何事?1週間前に予約したのに部屋が1つしかないと言う。日本語も出来る親父さん、「昨日、私の留守にコックが他の予約を入れたから、ごめんなさい。その代わり少し安くします」と私たちに言ってたけど、ノルブさんへの態度は解せないワ。穏やかに「お願いします」と頼み込んでいたノルブさんは紳士やなぁ。結局1部屋にベットが5つ有るので1つ追加して全員が寝ることに。少々狭いけどニープロブレムよ!
 女性が着替えている間に男性は食堂のこたつで暖まっていた。コタツとは、床にガソリンヒーター、その上にテーブルと毛布を掛けたシンプルなもの。他の客もポーター達も濡れた服を乾かしていた。我々も靴や服を掛けて紅茶を飲んでくつろぐ。
 アルゼンチンの美女2人がガイド無しで来ていて、一人がすっぽりコタツ下に潜り込んで腰を乾かしていた。詳しいメモを広げ、十分な学習をしてきたようだ。窓から氷河が見えるが雨はやむ気配無し。明日のアンナプルナBCはどうなるのか?と不安がよぎり、もう一泊の予備日はとれないか?との意見も出るが、ロッジの予約は無理だって。親父さんに天気予報を聞くと「ビミョウね」と苦笑い。まずは明朝4時出発、アンナプルナBCで6時朝食と決まる。コタツ談義しているうちにシャツや靴下もだいぶ乾いた。5:30私たち6人だけ夕食。モモ、焼きそば、ポテト、マッシュルームスープ、おいしい結構辛い!私はモモが気に入った。けど他の客が見ているので落ち着かない。奥西さんの梅干しを見てアルゼンチン娘が「何?]と聞く。プラムのようなものと説明するが、残り少ないのであげられないネ。きっと食べてもまずいのでは?6時頃部屋に引き上げ、7時には就寝。9時前に起きるとぼんやりだが月が出ている!明日行けるかも、と中塚さんに伝えてまどろむ。布団は不要だった。



 マチャプチャレBC〜アンナプルナBC(ABC)〜ドバン
第 8日目 10月15日(火)                               報告:奥西

アンナプルナ・ベースキャンプへの道         アンナプルナ・ベースキャンプのロッジ

マチャプチャレ・ベースキャンプ             朝日のアンナプルナサウス
                                (マチャプチャレ・ベースキャンプにて)
 悪天候の予報が、夜半に起きると月が出ているではないか。午前3時前に起床して、3時30分ヘッドランプを付けて出発。横に川の音がする道をゆっくり上っていく。
 5時30分、ABC4130mに着く。空が白みかけるとともに、うっすらと白い山々が暗闇から浮かび上がってきた。やがて明るくなると、アンナプルナT峰8091mをはじめとした山々が自分の周りを取り巻いていることが分かった。何と素晴らしい場所なんだ。やがて雲の隙間から朝日が差し込んできて、山の頂を黄色く照らし始めた。またまた素晴らしい景色に感動。十分景色を堪能した。
 6時30分過ぎから再びガスが出てきて、みるみる山の頂を隠していく。我々は何とラッキーなことであったか。
 

2枚の写真はアンナプルナT峰

寒くなってきたのでロッジで温かいミルクティーを飲み7時に下山。
 マチャプチャレBC3700mに戻り、朝食をとり、登りにも泊まったドバンに向け9時出発。全体が下りになるので気持ちと身体は楽。寒いのでカッパは着ているが雨はほとんど降らず。
 道はモディ川沿いを下っている。灰色の川の激流が岩にあたりながら下っていく。ロッジのあるデウラリ、途中にヒンクケイブと言って大きな岩の洞窟を過ぎ、ロッジのあるヒマラヤで昼食をとり、2520mのドバンに午後2時20分に着く。



ドバン→チョムロ
第9日目 10月16日(水) 小雨のち曇り                       記録:中塚M
 小雨の降る中、8時前に今日の宿泊地チョムロン(2,170m)に向けてドバン(2,520m)を出発する。ただただ雨の上がることを祈って。1時間後、バンブー(2,310m)に着いた時、青空が顔を出し始めた。合羽を脱ぐと、皆の口数も自然と多くなる。ノルブさんが一本の木を指して「石楠花です。」、と教えてくれる。日本の石楠花からは想像もできないくらい太く、見上げるほどの大木である。葉は同じ形をしているので納得する。軒下にプロパンガスボンベが置かれた民家が一軒ぽつんと建っていた。何気なく縁側に目を向けると、小学生用らしい英語の教科書が2冊開かれていた。1冊のページは、関係あるものを線で結ぶ形式の問題のようで、既に鉛筆で線が引かれている。子どもの姿はない。
 10時55分、シヌワ(2,360m)で昼食を摂る。その前に紅茶で一服。トレッキング中、レストランで休憩する時や食事の前には必ず紅茶を飲むスタイルがすっかり定着した。生野菜が少ないので、デザートに出されるリンゴが楽しみにもなった。
 山を下り、対岸のチョムロンへと導く長い吊り橋を、荷物を持った地元の女性4人が先に渡りだした。Oさんが急いで彼女らの後を追うと、一番若い女性が様子を感じ取ったらしく振り返り、手を振ってくれた。ここで、Oさんの思い入れに1ショット撮影。
 吊り橋を渡り、石段を上って少し平地に出たところにある家の庭で男性が細長い太鼓を両足に載せ、手で叩きながら何やら歌っている。その後ろには数人の大人が座っている。赤ん坊が生まれたので、お祝いの儀式をしている最中だという。
 再び石段を上りだす。この上にチョムロンの街とマチャプチャレの山を望める今日の宿がある。もう少しと、ロバと糞を避けながらひたすら登る。宿の近くにあるケーキ屋さんで、2〜3人が足を止めてお店の中を覗いている。往路の12日にも泊った宿にやっと到着。今日は前回とは異なり満室らしい。幾つもの宿泊客グループからはフランス語、ドイツ語、英語、中国語が聞こえてきて、国際色豊かである。後で判ったことだが、宿の主人は上手に日本語を話す。宿の1階と2階の廊下の軒下に張られたロープには濡れた合羽やその他の干し物がズラリと並ぶ。色とりどりで、その様は壮観。
 前日のABCで朝焼けのアンナプルナの大パノラマを満喫できた褒美の意味か、夕食はこれまでの献立とは全く違い、グリル風の鶏肉のステーキ。キャベツ、ニンジン、ジャガイモも添えられ、久しぶりの肉料理が美味しかった。その後さらにサプライズ。デザートにショートケーキが出てきた。ノルブさんが、ケーキ屋に立ち止まった誰かさんを後ろからしっかり観察していたらしく、店で6人分のチョコレートケーキを作ってもらったのだという。その甘さが口いっぱいに広がった。
吊り橋で手を振るOさんと先を歩く女性                     グリル風の鶏肉のステーキ
                 チョムロンの宿近く、石段の途中にあるケーキ屋



チョムロン〜 ランドルンへ
第10日目 10月17日(木)天候晴れ時々小雨                    記録:福島W
 広いテラスから右にマチャプチュレ、左にアンナプルナの南峰がくっきりと青空に映えている。そろそろこの素晴らしい景色ともお別れ。名残惜しいな。

      チョムロンのロッジにて(朝)          チョムロンのロッジにて 拡大:雲が掛かりだした

 今日は温泉(ダトパニ)日!急な石段をどんどん下る。アンナプルナBCへのルートで一番の急坂。木立の中では蝉の声。サンゼェが「ゆっくり行こう!」と真っ白な歯を見せて日本語で笑いかける。「ナマステ」しか覚えられない私。日本語を巧みに使えるようになる若者たち。いいなあ。道端の民家の庭にウサギ小屋、食料?マリーゴールド、サルビア、ダリアなどがどの家の庭先にもこぼれるように咲き誇る明るい谷間を下っていく。あちこちの緑の大木に少し赤い葉がついていてそれでわかるポインセチア。 南国の山国ネパール。ネパール語でポインセチアは「ラルパテ」と言うらしい。
 8時50分温泉のあるジイヌ・ダンダ到着。お茶をいただいて9時半、温泉へ。すぐかと思いきや何と15分も下ってものすごい勢いで流れるモディ・コーラそばの温泉に着く。四角い露天風呂が二つと打たせ湯のように三か所から勢いよく流れ落ちる洗い場が一つ。そして掘立小屋の脱衣所。女性用は何となく中が見えないようになっているが男性用は丸見え!誰かのお尻を見〜ちゃった!! 
  しかも下が砂地で何故か真ん中に盛り砂までしてあって・・・ま、これぞネパールの温泉か。お湯加減は上々。ゆったりのんびり混浴を楽しむ。ポーターくんたちも10日ぶりのお風呂に大喜び。50ルピーなり。1時間ほど楽しんでゆっくりロッジに戻りランチ。チャーハン、トマトスパ、温野菜、りんご。昼食時のスコールも止み、出発。途中落石あり。サンジェくんの咄嗟の判断で無事通過。上のヤギが落としたのだろうと。さすがガイドのたまごです。ニューブリッジを渡ってランドルンへ。途中で成人男子のバレーボール試合を見る。村総出のお祭りのよう。
 3時40分ロッジ着。クッキーとミルクティーをいただく。今日は午後からカッパを着たり脱いだり、すぐカッパを着る私たちをノルブさんは笑っていた。夕食メニューはピザ、モモ、温野菜、ポテト。食後、緑茶でノルブさんやサンゼェくんとしばし交流。対岸の登りをとった山並みや棚田、ぽつぽつ灯もる明かりが美しい。



ランドルン 〜 ダンプス
第11日目 10月18日(金)天候 晴れ                          記録:福島M
 今日でナヤプルから歩き始めて9日目。ここは西向きの斜面なのでまだ陽はあたっていない。谷を挟んだガンドルンは太陽の光をあびて輝いている。アンナプルナサウスが頭を雲の上に出して輝いている。村の中の石畳道を歩き出す。少し進むと道を切り開いて自動車道路に出た。車は走っていないが、ここまで自動車が入ってくるようになるのだろう。途中旧道に入ってベリカルカの村で休憩。9時50分。ミルクティーを頂く。ノルブさんがバナナを買って1人1本もらって食べた。このあたりヒルが多く、ちょっと草むらに入ると足元から登ってくる。要注意。
 10時15分に出発。ここからは山道を標高2100mのブヒチョック・デュルラリに向かって最後の登りになる。1時間ほどで峠レストハウスに到着。昼食。ノルブさんに今日はサンドイッチをお願いしていたので楽しみに待つ。40分ほど待ってノルブさんお手製野菜サンドが出てきた。デザートに飾り切りのリンゴが出てきて大喜び。12時40分に出発。ここからはダンプスに向って下っていく。30分ほど下ると右から道が合流してくる。オーストラリアンキャンプからの道とかで、2泊3日ぐらいのトレッキングコースがあるとのこと。何人かのトレッカーとすれ違った。
 チェックポストに13時20分到着。此処からは自動車道となる。所どころに土産物屋があらわれる。ダンプスには2時15分に着いた。
 ロッジはツイン部屋で各部屋にシャワールームとトイレがついていた。ロッジの従業員の娘さんが人なつっこくておばさん3人と遊んでいた。 夕方から雨が降り出した。
 夕食は最後のロッジなのでネパール料理をお願いして、ビールとロキーシーで堪能した。ロッジの息子さんと先ほどの娘さんが我々を楽しませてくれた。

    ランドルン⇒ダンプスへの途中
    (岳竹のブランコで遊ぶ子供)



Dhanpus→Pokhara
第12日目 10月19日(土)    ◎時々●                       記録:中塚W
 昨夜の雨は上がって、アンナプルナサウス、アンナプルナT峰等が朝日に照らされ、雲の間から顔を出す。麓の雨は、山では雪。寒い。
 7:00 いつもの時間に朝食。SANJAYのお粥も今朝で最後となる。トロロ、ユカリ、ワカメ、カツオブシ、用意した嗜好品これで全て終了。(パチパチ)そして、パンケーキ、ベジタブルオムレツ、に昨日残しておいたデザートのバナナ、全員きれいに完食。(パチパチパチ)
 8:30 ロッジの皆さんに見送られて、いつもより少し遅い出発。さっきバスがあがってきた(今までと比べて)広い道で、子ども達が歌を歌い、手をつないで通せんぼ。足元にはマリーゴールドの花びらで書かれた関所が。ここで、キャンディー、コイン等の通行税をせしめる趣向らしい。今日は、Phediまでひたすら下る。田んぼの畦道を通り、広い道を横切り、ロッジの脇の細い階段を下りて。「なんだか速いなあ。」と思ったら、SL.SANJAYの次がKさんからOさんに代わっていた。調子が上がって絶好調。ポーター若者連にも追いつきそうな勢いだ。 ガイドのNORBUさんが「ミナサン、ハヤイデスネ。」と言った。再び、通せんぼ関所を通過し、自動車道に出て10:00 Phedi着.。迎えの車は、少し遅れているそうだ。
 行商のおじいさんとおばあさんが、リュックから出した包みを開いて品物を見せてくれる。ロケット、ミサンガ、ヤマサンゴ・・・(珊瑚色のこの石があのヤマサンゴとわかったが、品質も値段も値打ちも私たちには適正かどうかわからないので丁寧にお断りする。)この後、バスが来るまでの1時間近くK先生のSANJAY日本語教室開講。昨夜、何度も直され、なかなか合格しなかったネパール語教室に比べ、習得が早く、発音もバッチリ。(ネパールでは普通、各民族の言葉、ネパール語、小学校から学習する英語の三つの言葉は使えるそうだ。)
 30分程バスに乗り、Pokharaのホテルに到着。若者四人とは、ここでお別れ。SANTOSHは、明朝Pokharaから家へ、SANJAY,MILAN,BISHALの三人はバスでKathmanduへ戻る。トレッキング開始前に預けたスーツケースを受け取り、重い荷物と靴を部屋に置いて、昼食のレストランへ。
 親子丼、カツ丼、野菜天ぷら、串揚げ、生姜焼き、お味噌汁に漬物、やっぱり、日本食の味がなつかしかった。
 次は、今回お世話になったSANTAさんも建設に尽力されたという国際山岳博物館。エベレスト登頂の記録や装備、ネパールの民族の紹介や地質、動植物、環境などに関する資料が収集されている。二階の巨大なガラス窓は、目の前にアンナプルナの山々が広がるように設計されているが、顔を出さぬまま。代わりに、庭園内のマナスル登頂を果たす(模型)。隣のレストランの桜の木に花が咲いているのを発見。ヒマラヤザクラ?最後に見られて嬉しかった。
ホテルの近くまで戻ってお買い物。ニット製品、バッグ類、ウールやカシミアのショール、ネパールらしい絵柄の衣類、チベタンボールやマニ車、仏像、狭い空間に積み上げられていて、ディスプレイは、ほとんど考慮されていないようだ。
仕上げのディナーは、ダンスを見ながらのネパール料理。「グルン族、タマン族、シェルパ族、ライ族・・・・の踊り。」と、NORBUさんが説明をし、隣へ伝言ゲームで伝えていく。たくさん食べて、たくさん飲んで、21:00帰還。



ポカラ〜カトマンドゥ
第12日目 10月20日(日) 天候   晴れ                        記録:小泉
 5:30 目覚めると荷造り、蜂蜜は大丈夫かな?と気になり、しっかりパッキング。
洗濯物は昨夜のサーキュレーターですっかり乾いた。今日は快晴だ。
 
               朝日のマチャプチャレ(ポカラにて)
 7:30 サントスは6:00に家に向かったという。(ナンプルまでバス、そこから徒歩3時間)簡単なバイキング朝食。野菜類はジャガイモ、ピーマン、トマトの炒め煮。他はベーコン、ウインナー、マンゴージュースがおいしい。 ドデカシートの残りをノルブさんにプレゼント。
食後、中塚さん福島さん夫妻はショッピング。奥西、小泉は散歩。8時前から店はたくさん開いている。レストランにお土産屋店なども。母と子を追い越したらお金をせがまれたが・・・。メイン道路中央に痩せ牛が寝そべって動かない。車はそれをよけて何事もないように走る。道路工事現場に珍しく日本の重機が。どこの建設現場でもマンパワーが常だ。
フェワ湖畔に出ると、ボートが群生するホテイアオイに浮かび、沐浴する人、投網する漁師、洗濯する人、食器を洗う人・・・。何でもあり!に苦笑。
昨日行ったボート乗り場には写真売りの女性達が。「昨日買いました」と言うとカレンダーを勧める。商魂たくましい。
大木の太い幹にイチジクが直接鈴なりになっている。葉っぱは日本のそれとは似つかないけれど、落ちているのはイチジクだ。ホテルに戻る。
   
 9:30 ホテルにさよならしてポカラ空港へ。10:55が1時間遅れという。カトマンドウからの到着が遅れると必然的にこうなる。搭乗前にトイレに行くと掃除が必要だ。こんな場面が多かった。中塚さんに「行くよ」と呼ばれて走るとみんな着席している。上空は雲が多く、山はあまり見えない。それに飛行機よりも山の方が高い!やはり世界のヒマラヤだ。
12:00 カトマンドウ着。荷物の受け取りは何と外だった!建設が間に合わないとはいえ、これにはびっくりした。迎えの車で空港近くのネパール最大のヒンズー教寺院(世界遺産)パシュパナティナート寺院へ。1000ネパー−ルルピー(約1000円は高いなぁ)。聖なるバグマティ川岸では火葬の煙が6箇所もたなびいている。橋の上流で死者を川で清める様を対岸から見る。しばし無言に。下流は庶民の火葬場だという。カトマンドウの人はヒンズー教徒以外でも、すべてここで火葬されるのだそうな。
カトマンドウの道はデコボコで悪路が多いが、一部だけ立派な道路があり、日本が作ったという。そこを外れるとまた元の黙阿弥・・・?で田んぼ道を通り抜けて、今夜の宿サンタハウスへ荷物を置きに行く。サンタハウスは以前田んぼだった所に立つ高級住宅地の一つで、3階建ての大きな家で頑丈な門を入るとミニ田んぼにイネが実っている。すでに干してあるイネも。玄関脇にバナナの木も。バナナがないのが残念!各階に部屋が3〜4室?ありトイレ、シャワーも付いている。他にリビングまたはミーティングルームがある。1階のキッチンになるスペースにはコーヒー豆の袋が山積み。3階には日本の女性が下宿していた。敷地には倉庫、焙煎工場などもあり、住み込みスタッフがいた。真っ黒い犬が2匹、遊んでほしそうにまとわりついていた。
かなり腹ぺこなのでタメル地区に店でサンドイッチを頬張ると3時。2001年に暗殺された王族の住まいだったナラヤンヒティ王宮博物館を見学。衛兵のお兄さんが何ともかわいくて一緒に記念撮影。ここは700ルピー。
17:30 賑やかな通りをキョロキョロ、くねくね20分歩いてサンタさん事務所へ向かう。だいぶ歩いてから、あれ?ここは9日に来たレストラン通りだ、と気づいた。ガンジョンホテルまで歩いて帰った道はわかる。サンタさんの事務所はビルの1階フロア全部。奥から大声で話すサンタさんは長電話のようだ。コーヒーを頂いていると、だんだん日が暮れてきたが停電中で、部屋は真っ暗に。皆さん慣れているので落ち着いている。30分以上待つとサンタさんの電話も終了、電気も点いた。ネパールルピーが少なくなったので両替してもらうことに。「明日精算しましょう」と言うのでサンタさんに1万ルピー借金して夕食は日本料理「古都」に決めて、久しぶりに家族の元に帰るノルブさんと別れ、サンタさんの車は携帯しながらラッシュの中へ。助手席の奥西さんは「ほんまに 怖かったワ、帰りは変わってナ!」という。私たちにカトマンドウ 「古都」では天ぷら、すき焼き、焼き鳥、鯖の味噌煮、塩焼き、うどん、酢の物、胡麻和え・・・と和風メニューが何でもある。焼き鯖は焼き鳥と同じグリルで焼くらしく、においが同じだったけど・・・。エベレストビールで乾杯!
中塚パパは体調不良でキツネうどん、サンタさんは運転なので飲めないのが残念。奥西さんは大好きなロキシーで盛り上がり、トレッキングがノルブさん達スタッフのおかげで楽しかったとサンタさんに感謝する。
店を出ると40ルピーの駐車料。またまた飛ばしてサンタハウスへ9時頃到着。サンタさんは飲めなかったので2階のリビングルームでビールとロキシーの酒宴。ロキシーが大いに気に入った奥西さんはニコニコ。
サンタハウスは5年前に建て始め、3年かけているが未完成だとか。階段下は荷物置き場、コーヒー豆置き場なのはそういうことらしい。世界各地に友人がいてここに泊めてあげるのだとか。奥さんは熊本にお住まいだという。
10時頃サンタさんの友人達が数人集まり、1階のミーティングルームで大声討論?話し合い?ネパール山岳協会副会長のサンタさんだが、次回の選挙についての相談らしい。私たちは解散、各部屋へ。声がよく響くのでおるサイト思いつつ11時頃にはベットへ。よく動いた一日だった。



カトマンドゥ観光〜帰国
第14日目〜16日目 10月21日(月)〜23日(水)                      記録:奥西
サンタさん(お世話になった旅行会社のオーナー)の自宅に泊めていただき、さわやかな好天気の中カトマンドゥ市内観光に出発。主に世界遺産の寺院や旧王宮をめぐる。
まずダルバール広場に行き、寺院や旧王宮を見学。

たくさんの寺院が林立している。
 ここを見学した後、市内の西郊の丘の上にあるスワヤンブナートを見学。市内の道は悪い。細道に入ると未舗装でホコリがもうもう、マスクなしで我々は行動できない。
丘の頂上のレストランで昼食。市内を眺めながらの昼食は気持ちよかった。

 その後3つ目の寺院を見学。Boudthanath(ボーダナート)
大きなストゥーパが立っていて、その周りをいろんな店が取り巻いている。



21日 もホテルガンジョンに泊まる。
22日朝 空港に向けホテルを出発。
ガイドのノルブさんの見送りを受け、経由地のバンコクに向け飛びたつ。バンコク空港内で5時間以上も過ごし、いよいよ日本へ向けて飛び立ったのは23時30分。
23日早朝 に関西国際空港に無事到着。




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