らくなんトレイルV

多賀から三上山経て加茂

                                       万灯呂山(大峰山)
山行日 2014年2月23日(日) 天気:晴れ
参加者 木俣(CL)、中山(SL)、松山、三原、川野、竹内、玉岡(救護)、池上、屋根谷克(SL)、屋根谷邦、荻野晃、伊賀、鵜飼、吉野、中塚陽、中塚光(記録)  計16名
行 程 JR山城多賀駅 ⇒ 万灯呂山 ⇒ 大焼山(429.4m) ⇒ 大正池 ⇒ 有王山(378m) ⇒ 三上山(473.3m) ⇒ 海住山寺の横 ⇒ JR加茂駅
報 告
 7:40 JR山城多賀駅を出発
 8:40 万灯呂山に到着。ゆっくりと休憩。意味深いメッセージの記されたタオルを広げて集合写真を撮る。これを目に留めてくれる人は他にいない。木津川を挟む向かいの山は霞んでいて、楽しみにしていた見晴らしは今一つ。
 9:00 出発。車道を下る。
 9:57 再び山道に入る。暫くするとバイクのタイヤ跡が目立つようになり、更には雪道に変わる。遠くでブンブンとアクセルをふかす音が聞えてくる。タイヤ跡とバイク音に気を取られながら進んでいくと、「行き過ぎている。」と、川野さんの声。 少し下ると右側の木に巻きつけられた2本の赤いテープが確認できた。途中で左側に曲がるところを直進したことになる。
10:08 雪の残る大焼山の頂上周辺は木が茂っていて見通しはない。集合写真を撮る。


大焼山へ                          大焼山

10:58 大正池。所々に僅かに雪が残っている。大正池グリーンパークのメインハウス横で食事タイム。
11:45 山を下り有王地区に出る。川野さんの観光案内に耳を傾ける。右手の少し奥に今は使われていない有王分校*1。さらに進むと山裾の人家近くに江戸時代の漢方医、中神琴渓(なかがみきんけい)*2の墓。お参りすると、1つだけ願いが叶えられるとの説明を聞いて、何をお願いしようか考えながら足を運ぶ。

 *1、井出小学校の有王分校。1989年(平成元年)に竣工式と開講式が行われる。
    地区の人口も少なく、今は休校中。
 *2、「我が墓に一心に詣でるものには病を1つだけ取り除いてやろう。」との言葉を残したという。



モダンな玄関の有王分校                三上山へ

13:37 小さな鳥居と社を通り過ぎ、三上山に到着。展望台からは周囲がよく見晴らせる。展望台の階段に座り集合写真を撮る。
14:50 山を下っていくと、分岐に差し掛かる。正面の道に立てられた標識“海住山寺入り口”が目に留まる。そこにはハイカーでも寺への道を進むと拝観料を徴収する旨が記されていた。我々は右側の道を選択して進む。
15:18 イノシシや鹿を防ぐフェンスを通り抜け、里にでる。畑には菜花を収穫する人の姿も。誰かさんが、「早く収穫しないと美味しくなくなるのに。手伝ってあげようか」と。


三上山                            国分寺跡

16:10 恭仁宮跡、国分寺跡、小百安(こもやす)(こまやす)【和菓子店】を経て、JR加茂駅に到着。
【感 想】  山行に参加された吉野さんから「体調はすっかり回復し、会に復帰できる。」という話が聞け、本当に良かったと思う。嬉しくもなる。誰もが健康第一。
 大焼山への登山道は、バイクのタイヤで深くえぐられ歩き難い。1週間前に降った雪も残っていて尚更のこと。文句を言いながら登って行くと、バイクの音も近くに聞こえ出してくる。このタイヤの踏み跡はひょっとするとハイカーに本来の登山道を見失わさせるのではないか。視覚的に左右の分岐道への注意力を削いでしまう。言い訳になるが、そんな思いがする。
 恭仁宮がかの地にあったとは意外だった。ぼんやりと思い出した大昔の知識では、もっと別の場所と思い込んでいた。国分寺跡では子供を抱いた若い夫婦が石碑を背景に写真をとっていた。こうやって歩くことで、歴史を身近に感じることもできる。
 今回のルートは初めて。これまでは風邪をひいたり、都合が悪かったりと機会がなく、漸くのこと“らくなんトレイル”全コースを歩いたことになる。時間と労力を注いでルートを開かれた仲間に感謝したい。里山には高山とは全く違う面白さ、良さがあるのを改めて再認識する。




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