東北大震災支援と栗駒山交流登山

目 的 府連盟第17次東日本大震災の支援活動に参加するとともに、残雪期の大朝日岳に登る
参加者 CL:花折m、網岡w、奥西、花折w(京都明峰)、奥西(報告)
日 程(予定)及びコース
 4月29日(金) 6時奥西宅出発 ―― 宮城県石巻市水沼(泊)
    30日(土) 栗駒山登山(宮城県、岩手県の仲間と交流登山) ―― 栗駒山麓「自然学校」泊
 5月 1日(日) 金華山で登山道整備のボランティア
     2日(月) 石巻市水沼で農作業のボランティア
     3日(火) 朝日連峰大日寺登山口へ移動
     4日(水)
   〜6日(金)
朝日連峰縦走

以上のような予定で出発したが、2日(月)の農作業は、前日の雨で実施できず、大震災で被災した数か所の見学に変更になった。
まだそのまま残されている大川小学校(津波で壊された実際の建物を見て、改めて津波の破壊力のすさまじさとその中で津波に巻き込まれてもがきながら亡くなっていった多くの子どもたちと先生を思うと自然に涙が出て頭を垂れるばかりであった。小学校は河口から4q上流にある)を見て、女川港へ。
震災が起こった3か月ほど後に行ったボランティアで、ここを見学したが、すべてのものが破壊しつくされた現場を見て息をのんだ。しかし、5年たった今ではほとんど残骸はかたづけられ、商店街が形成され、我々のような観光客が来ていて、にぎわいを取り戻しつつあった。その後、旧北上川河口近くの日和山に登り徐々に復興が進む市街地を見た。
車の中で、4日からの天気の悪化との関係で山行をどうするかを話し合い。4日と5日は雨と強風になるということで、結果、縦走は取りやめ、大朝日岳だけに登ることに決定。そこで、4日は天候が悪化するので、2日中に古寺の登山口に移動し、天気が良い3日(火)に登ることにする。
 3日に下山したら、運転を交代しながらそのまま京都に帰ることにする。しかし、北陸道を走っているとき、車のハンドルがとられるぐらいの強風が絶えず吹き、とうとう富山に来た時に、強風のため通行止めになってしまった。自分は初めての経験である。仕方がないので、有磯海SAで仮眠をとることにする。家に帰ったのは4日の11時頃であった。

報 告
栗駒山交流山行  4月30日(土)


後ろのピークが栗駒山1627・4m

宿泊していた石巻市水沼を6時30分に出発。ここから栗駒山までは結構遠い。いわかがみ平まで車で行く予定であったが、今はない「いこいの村」の所にあるゲートが今日は開かないということで、ここの駐車場に車を止め車道を歩いていわかがみ平まで行くことになった。京都と宮城、岩手のメンバーを合わせて総勢50名ほどで登ることになった。 会の紹介の後、ストレッチをして出発。
 今年はここも雪が少ないという話だ。いつもだったらこの辺りも雪があるのに、今年は全然ない、車道はヘアピンカーブが幾つもあるので、標高のわりには結構長い。 
 栗駒山は、写真では左上になる。
 いわかがみ平には立派な鉄筋のレストハウスが建っている、ここから登山道に入る。雪があるのでうれしくなる。
 斜面は緩やかに登っているので危険なところはない。それぞれのグループ、思い思いのルートを採って登って行く。
                                     立派なレストハウス 車道には雪はなかった。
雪は緩んでいるので、雪のない道よりも歩きやすい。それに斜面もなだらか、振り向くと下界がはるか遠くまで見渡せる。 東栗駒山を行く尾根コースを見ながら、我々は中央コースを登る。
やがて栗駒山の頂上も見えてきて、広い稜線を登って行くと、思いのほか早く頂上に着いた。
 天気が良く、360度の展望で、地元のメンバーに山の名前を教えていただいた。






栗駒山山頂
花折夫妻、網岡国さんと奥西と、あと誰かな
 
奥西は初登頂

 下りは同じ道を下山。
 帰りは、くりこま荘の温泉に入り、栗駒山の地震で土石流に飲み込まれた駒の湯温泉に寄り、宿泊地の「くりこま高原自然学校」に行く。
 地元の人が揚げてくれた山菜の天ぷらなどの様々な料理、イワナの塩焼き、差し入れの酒で、大満足の夕食であった。これで泊まりも入れて4000円とは、ありがたき感謝の言葉あるのみです。東北の仲間の皆さんありがとうご
ざいました。




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