平ヶ岳・越後駒ヶ岳

山行日 2017年4月28日(金)~5月3日(水)
参加者 CL:花折m、網岡w、花折w(明峰)、奥西   報告:奥西
報 告
4月28日(金) 花折宅出発14:20 ~ 16:10奥西宅 ~ 16:45網岡宅 ~ 名神道 ~ 北陸道 ~関越道を通り 

京都市内の道が混んでいて、花折車が奥西宅に着いたときは、予定時間がかなり遅れていた。尾瀬の鳩待峠までは、中央道回りか北陸道回りかどちらにしようか走りながら話すが、ちょっと遠回りだけど、アップダウンが少なく、カーブも少なく、車も少ない北陸道回りで行くことにする。運転手が3人いるので、トイレ休憩以外は走り続け、日付けが変わる頃に沼田IC手前の下牧PAに着き、ここで仮眠をとることにする。
 今回の山行は、あと3つとなった奥西の100名山登頂に向けて、花折夫妻、網岡国さんが協力してくれることになり、平ヶ岳、越後駒ヶ岳に登るという次第である。ただし、全員雪の2つの山は初めてであるので、雪の平ヶ岳、越後駒ヶ岳に登る(山スキーも)という大きな目的もある。 天気はといえば、1週間ほど前から、みんなさまざまなツールでチェック。29日は午後から一時崩れるという予報は変わらない。しかし、大きな崩れではない。

4月29日(土) 0:30下牧Pにて仮眠 ~ 早朝出発 ~ 沼田IC ~ 戸倉へ、第一駐車場に駐車 ~ 乗り合いタクシーで鳩待峠へ(980円)~ 7:55鳩待峠着 ~ 9:10(奥西、網岡国)9:40(花折夫妻)山の鼻 ~ 10:10柳平 ~ 13:05 1664mの台地状の所にテントを設営
 5頃起床して出発。沼田ICで降り、鳩待峠に向け走る。30年ほど前に「尾瀬」というところを地図で見て、なんという秘境だと思っていたが、この10年ほどの間に何回もこの道を走り、すっかり勝手知ったる道になった。新しいトンネルができていて、時間短縮になった。
戸倉に着き左折すると、おじさんが立っていて前の車と話している。前の車3台はすぐ先の駐車場に入って行った。我々は行ってみようということで少し走るが、鳩待峠は満車の看板がかかっている。戻って先ほどの駐車場に入る。しかし、なんとなくおかしい雰囲気なので、先ほどのおじさんに聞きに行くと、ここはホテルの駐車場で、少し戻ったところに公共駐車場があり、そこからバス・タクシーが出るということだった。
第1駐車場に車を置き、山行準備をして、乗り合いタクシーで(1人980円、バスも同じ値段)鳩待峠へ。走ってすぐに、道の両斜面に雪が見えてくる。今年はどうも雪が多いらしい。春山は雪が多い方が行動しやすいので、歓迎というところであろうか。
鳩待峠に着くが、多くの登山者や山スキーヤーで賑わっている。
谷川岳救助隊の人たちが登山届を出すように促している。この指導で遭難事故が1/3に減ったと言っておられた。
ここから尾瀬ヶ原の山の鼻まで標高差約200mを下って行く。いつものように歩き組とスキー組に分かれて行く。雪は固く閉まり、踏み跡は明瞭についている。9時過ぎに山の鼻に着く。いつもは追い越されるスキー組が来ない。30分ぐらい待った。追い抜かして先に進んでいくはずはないし、間違いようのない所なので、どうしたのかちょっと心配になる。どうもスキーをつけたり外したりしなければならないところがあったようである。
当初の計画では、鳩待峠から至仏山に登り、そこから稜線伝いに平ヶ岳までの計画であった。しかし、花折さんから提案があり、山の鼻から尾瀬ヶ原を猫又川沿いに北上し、川が左右に分かれている間の尾根を登ったらということであった。さっそくネットで調べてみると、この尾根やススヶ峰から登るのが多いようである。地形図で検討してみると、特に問題になるような所はなく、急登や岩稜帯もなく、登るのによい尾根のようである。一つ問題は、猫又川を渡らなければならないことである。渡渉するとなると雪解けの冷たい水の中に入らなければならない。水の量も多いだろう。


柳平  進む方向を見る                    猫又川 渡渉点

 山の鼻を出発し、猫又川沿いの平原を北上していく。柳平というところで休憩をとる。10時過ぎであるが、天気は午後に崩れるのが信じられないように穏やかな好天である。単独登山者が追い越していく。同じルートを行くようである。
いよいよ渡渉点に来る。本来なら渡れそうなところを探さなければならないが、何とラッキー!大木が川に橋のようにかかり、その上に雪が1mほど積もっている。何の憂いもなく渡れた。
そのまま少し進み尾根に取り付く。空を見ると急に黒い雲が現れてきた。天気予報通りである。1回目の100mほどの急登の後休憩。出発して15分ほど歩いて、「あツ!」と気づく。ストックを休憩場所に忘れてしまった。仕方がない、ザックを置いて取りに戻る。
2回目の急登が終わるところで、待っていてくれた。単独者は、天気が悪くなってきたので、手前でテントを張っていた。我々は、ここから少し行ったところの、1661mあたりが平らになっていそうなのと、周りが斜面で風が防げそうなので、そこにテントを張ることにする。
13時に到着。さっそく整地して、テント設営。敬司さんは、何を思ったか、3つも立派なトイレを作った。単独者も、下のテントをたたんで、我々の横にテントを張りなおした。
テントの中に入ると雪が降ってきた。すぐにやんで、ポツリポツリの雨にかわる。雷も何発かなったが、暗くなるころには通り過ぎ、天気が回復してきた。
いつものようにさっそく宴会。今回は、ベースプレートコンパスについて、敬司さんと奥西が交わることのない議論を酒の肴にして延々と。2人の女性にはいつものように呆れられるが、果てしなく続く。
夕食は鍋。網岡国さんが担当で、何種類もの野菜、きのこ類、肉も牛、豚、鶏と3種類。それも量が半端じゃない。荷物が重かったはず。
もちろんおいしくいただいたが、国江さんが、むかむかして、頭も痛く夕食が食べられないという。なるべく残さないようにしなければならないので、もう腹はパンパン。7時30分ごろには眠りにつきました。

4月30日(日) 5:42平ヶ岳に向けて出発 ~ 7:00 1800m地点の広い台地 ~ 9:10 1911mのジャンクションピークの横 稜線に出る ~ 10:50 平ヶ岳頂上 ~11:10 下山開始 ~ 14:44 テント場着

 4時起床。夜トイレに起きると星が瞬いていた。今日は快晴の好天気になる予定である。今日は平ヶ岳に登るが、日帰り山行になるので、ザックは軽い。準備をして、5時42分出発。国江さんの体調戻る。
 単独者の踏み跡がついている。正確に歩いておられる。しかし、地図を読みながら慎重には歩いていく。昨日の雪が薄く積もっている。まずは、大白沢山から下っている尾根の末端を目指す。緩やかな尾根を登り、急登をひと登りすると、標高1800mの台地上の末端に着く。


  後ろの山は至仏山                        白沢山からの平ヶ岳

  ここからの眺めが素晴らしい。間近に至仏山、その後ろの方に武尊山、尾瀬ヶ原の向こうに燧ヶ岳、遠くには日光白根山、いろいろ雪を被った山々が無数に見える。次は1911mのジャンクションピーク辺りを目指す。左手に谷を見ながら登るとピークの右側に着く。踏み跡が結構ある。何人もの人が登っているのだ。ちょっと遅れて花折夫妻が到着。 いつもは、歩き組はすぐに追い越されるが、今回は、休憩していてもスキー組がなかなかやってこない。話によれば、板の裏に張るシールが良くないということである。 ここに来るとずっと先に平ヶ岳が見えてくる。なだらかな稜線の先に真っ白い平ヶ岳がある。次は、白沢山1952・8mを目指す。途中の平らなところに、ポツンポツンとテントが3張あった。いったん1800mまで下り登り返すと白沢山。ここまで来ると平ヶ岳が近くなってくる。そして、最後の急登を一歩一歩一定のリズムで登りきると、広い頂上部に出た(2141m)。まだ先に頂上があるのではと見るがない。中心部に観測機器のようなものが立っているが、標識はない。標識はまだ雪の下ということか。人が来たので話していると、隣でテントを張っていた人だと分かった。
ちょっと先の三角点のある所まで行ってきたという。もちろん雪の下で見えないが。


  どっしりとした平ヶ岳                        だだっ広い平ヶ岳山頂
快晴無風の申し分のない天気。360度の好展望。周りの山々は、白黒まだら模様の色合いで頂上部を青空に向かって伸ばしている。エアリアマップを取り出し、山座同定をする。次に登る越後駒ヶ岳のピークも見える。我々の住むところは、もう夏の暑さをそろそろ感じるころになっているのに、この辺りはまだまだ冬の名残を十分に残している。
だいぶ待って花折夫妻が登ってきた。帰りはだいたい下りなので、すぐに追いつかれるので、写真を撮って歩き組は先に下山。急斜面を降り切ったころに2人がスキーでかっこよく滑って降りてきた。
 白沢山を過ぎ、コルに下り、ジャンクションピークまで登り返すが、だらだらと長い登りだ。やっとのことでジャンクションピーク近くの稜線に着いた。下る方向に踏み跡がないので、1800mの台地上にコンパスを合わせる。花折夫妻を待つ。着いたので我々は先に斜面を一気に下る。間もなく追いつかれたが。この後も方向を間違えないようにしながら尾根を下る。
 14時44分テント場着。9時間の行動時間であった。なかなか良い山行だった。別のテントはなくなっていた。早く帰れたら下山という話をしていたが、無理をしないでここでもう1泊した方が楽だ。明日は昼までには十分下れるからということでテント泊決定。予定通り。
5月 1日(月) 5:40テント場発 ~ 7:40猫又川のスノーブリッジを越える ~ 8:30山の鼻 ~10:00鳩待峠 ~ 戸倉に戻り、駐車場横の温泉に入り、昼食に「そば」を食べ、スーパーに寄り食料を仕入れ、小出IC近くの道の駅{ゆのたに}に着く。ホテル「花折」にて夕食、宿泊。

 4時起床。朝食をとり、荷物をザックに詰め、テントを撤収して5時40分出発。山の鼻8時30分。ここから鳩待峠まで標高差200mを登り返して10時着。人が7~8人程度集まるとタクシーが出る。
 運転手は地元の若者で、昨日は1000人もの人が至仏山に登ったという話をする。ちょっと大げさだと思うが、しかし、かなり多くの人が登ったということだ。横の男女ペアも至仏山に登ってきたという。我々は平ヶ岳に登ってきたというと羨ましがっていた。奥西が98座目だと花折さんが話すと、運転手が話を引きとり、自分も2年ちょっとの間に60座以上を登ったと話し、この1年~2年で100登る予定だと楽しそうに話す。
 話が盛り上がりあっという間に戸倉の駐車場に着く。天気が雨模様にかわる。ポツリポツリと降ってくる。
 すぐ近くに温泉「尾瀬ぶらり館」があるので入る。お昼ごろになったので、蕎麦屋「カモシカ村」で昼食。山菜そばを食べたが、てんぷらの量が多い。腹いっぱいになる。途中、スーパーに寄り夕・朝食を買うが、満腹のため気持ちがのらず、買う量がいつもより少ない。
 明日は予備日になっていたが、小出IC近くの道の駅「ゆのたに」までは十分いけるので、明日から越後駒ヶ岳に登ることにする。
 花折さんが、電話で観光協会や魚沼市役所に登山口の駒の湯温泉までの道について聞いてみた。すると、大湯温泉から先はまだ開通していないとのこと。「ガーン」登れない??さらに聞くと、銀山平までは開通しているとのこと。7~8年前に、確かにトンネルばかりの道を通って桧枝岐村へ行ったことがある。多分この道だろう!!地図で見ると、駒の湯温泉は標高が350m、銀山平は1000m。不思議なものだ。
 その結果、1泊2日のテント泊の行程はやめにして、日帰り山行ということにする。早い時間に道の駅に着く。この頃にはもうすっかり天気も回復し、荷物の整理と濡れたものを車の周りに並べて乾かす。
 6時頃から夕食。お腹も減ってきた。敬司さんから、焼酎に牛乳を入れるとまろやかでうまいとかなんとか言われて、いつもより多めに飲んでしまった。明日二日酔いしないかなと思いながら就寝。

5月2日(火)  4:00道の駅「ゆのたに」発 越後駒ヶ岳登山日 ~ 5:00 準備をして、出発 ~ しかし、道が分からず、うろうろ ~ 6:00 やっと見つけ、川沿いの林道を歩く ~ 6:56 尾根に取り付く ~ 7:40 尾根を上がり、道行山への稜線にでる ~ 8:22道行山 ~ 10:26 小倉山はトラバースして頂上は踏まず 急登を登って行くと、岩場があるために、左斜面に踏み跡がついている。クレバスを渡って再び稜線へ ~ 10:47 避難小屋「駒の小屋」着 ~ 11:07 越後駒ヶ岳着 好天で素晴らしい眺め ~11:20下山開始 ~ 11:43 駒の小屋 ~ 同じ道を下って、14:45 石抱橋着 ~ 大湯温泉「ホテル湯元」にて宿泊

 4時起床して出発。今日も快晴、いい天気。越後駒ヶ岳山行のために銀山平に向かう。途中、トンネルに入る手前で、突然荷物室のドアが開き、いくつか荷物が転げ落ちる。一番後ろの席にいた奥西がすぐに気づき、大声をかけ、車を止めてもらう。20m~30m後ろに荷物が幾つか転がっている。走って行き拾い集める。幸い後ろに車がついていなかったので良かった。なんで開いたのかは原因不明。
 銀山平に着き、駐車場に車を止める。ここから登る予定をしていなかったので、1/25000の地形図がない。エアリアマップで見ると、石抱橋あたりから赤線が書いてある。そこまで戻る。
 敬司さんは平ヶ岳山行で靴擦れし、登山靴では痛すぎて歩けないので山行を取りやめ、留守番ということになる。
 5時過ぎに、橋の横から歩きはじめる。川沿いの広い平面に電柱が立っていて、雪の下だが道だと推測される。踏み跡がいくつかある。電柱は小さい橋の所から、対岸に渡ってしまった。そのまま進んでいくと。岩が川にせり出したところに来た。細い踏み跡が続いているように見えるが、100名山の人気のルートとしてはおかしい。エアリアを見るとこの手前から林道あたりに出るが、雪のためにわからない。戻ろうとすると後から1人来て、手前で急斜面を登って行った。敬司さんがしきりに何か言う。登っても急斜面で進めないと言っているようである。我々も戻りながら見ていると、7m~8mの急斜面の上にガードレールのようなものが少し見えた。雪の急斜面をよじ登ると車道だった。この辺りは除雪されていた。地図をよく見ると、この道が枝折峠へ続く車道で、川沿いを行く林道につながっている。雪で埋もれた林道にいくつもの踏み跡がついている。明神峠へ行くには右手の斜面を上がるが一向に踏み跡がない。おかしい。だいぶ行って忍さんに言うと、忍さんのエアリア(2015年製)には、道行山にダイレクトに登るルートが赤線で引いてある。だから林道をまだ歩く。奥西の2004年製には、そのルートは書いていない。地図は新しいものを。


  道行山を下ったところで休憩 越後駒ヶ岳が見える      急登を行く 近づいてきた

 結構歩いて取り付き点に来る。先行者が一人休んでいた。アイゼンを付ける。尾根はなかなかの急登である。えっちらおっちら登って行くと、緩斜面の所に来た。スキーヤーが2人追い越して行く。話すと、地元の人だという。我々のペースなら楽勝で登れますよと励ましてもらう。
 途中少し雪の切れた所があり、イワウチワやカタクリが少し咲いていた。再び急登を登り道行山(1298m)に着く。ここから小倉山(1378m)を通って越後駒ヶ岳へ続く稜線が見えるが、まだまだ長い。
 いったん下り、広い尾根がだらだらと続く。小倉山はトラバースし、さらにゆっくり登って行くと、前駒1763mの急登に差し掛かる。春になると雪が地面から崩れ落ちはじめ、その亀裂が斜面にあちこち走っている。
 先を見れば急登を登っている人があと1人いる。我々も登りに差し掛かる。ゆっくりゆっくり登りきり少し行くと、再び駒の小屋までの急登が始まる。途中岩場のところは斜面をトラバースするように踏み跡がある。進んでいくと、雪面に亀裂が走り、クレバスになっている。覗くと底の方は暗いのでどうなっているのか。60~70cm位の幅がある。ここを飛び越すのは怖いので、その下の30~40cm位の所を越える。唯一の緊張の一瞬であった。
 駒の小屋に着くが、そのまま頂上まで行くことにする。さらに100mの急登を登ると、11時過ぎに広い頂上部分に着いた。


  駒の小屋                               越後駒ヶ岳山頂
標識のある所(2002・7m)まで行く。スキーヤー・単独者は降りて行き、頂上にいるのは我々3人だけ。快晴の中、絶景を十分に楽しむ。先日登った平ヶ岳も真っ白い姿で見えている。5時間の行程であった。奥西の100名山99座目は申し分のない登頂だった。
登頂の余韻を心に残しながら同じ斜面を下って行く。ずっと踏み跡が続いているのでたどりながら下る。最後の斜面を降りきって谷筋に出て辺りを見回すと、登るときの景色と違っている。前方に踏み跡はついているので間違いはないだろうが、コンパスで方向を確かめると、正しい方向に続いている。さらに歩いていくと覚えのある橋に来た。ちょっとだけ手前を歩いたかな。
 来たときこんなに歩いたかなと思うほど長い林道を戻り、14時45分石抱橋に着く。8時間45分の行程であった。
 今日は久しぶりに畳の上で寝る。大湯温泉「ホテル湯元」泊
 夕食・朝食はバイキング。酒類も無料なので、飲みすぎ、食べすぎ。貧乏根性はしみついている。風呂も広い風呂だった。庭には桜の木が何本か。まだ名残の花が残っていた。道にもまだ満開の桜もあったよ。

5月3日(水) 新潟県南魚沼市塩沢の「塩沢宿」の「鈴木牧之記念館」を見学

 朝食をたらふく食べ、宿を出発。どこか観光をして帰ろうということになり、南魚沼市塩沢の「鈴木牧之記念館」(500円)に行く。この辺りは「塩沢宿」があったところで街並み保存もされている。
 帰りには両手に酒瓶。北陸道を通って帰京。
 いつものことながら、花折夫妻には計画から運転まで世話になり、網岡さんには食料を準備していただき、「お世話になる」担当の奥西にはありがたい限りだ。また、夏よろしく!



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