三朝町 三徳山

山行日 2019年9月18日(水)
参加者 前川(CL・連絡)、石黒(会計)、上島(救護)、寺崎(SL・記録)
報 告
今回は、単なる山行ではなく、修行山行に。
鳥取県東伯郡三朝(みささ)町の東部に位置する霊山、三徳山(みとくさん)は慶雲3年(706)の開山。修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)が開いたとされています。

JR城陽駅に集合して4時間をかけて駐車場に。自衛隊員20人ほどがウロウロ。遭難騒ぎ?訓練?と訝っていると、山道修理のボランティアとか。事故が発生してもすぐ救助してくれる安心感も。

本堂の前には三徳山名物の十薬茶(どくだみ茶)が用意されていた。水分補給を兼ねて美味しく頂いた。
10時35分、入峰修行受付所では服装や靴のチェックを受ける。かかとの高い靴や革靴、サンダル、スリッパはNG。記帳を済ませると「六根清浄」と染め抜かれた輪袈裟(わげさ)を手渡される。ここは修行の場。
輪袈裟は略式の法衣なので、登山中は首から掛けて修行の身だしなみを整える必要があるとか。修行の目的は「六根清浄」。六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意のことで、五感と心。これらが鈍ると煩悩が芽生えてしまう。修業することで六根を浄化させるとか。

最初に現れたのは緩やかなアーチの宿入橋。ここが結界とされる場所で、いよいよ参拝登山のスタート。しばらく歩くと、さっそく現れました。
最初の難関、カズラ坂。木の根に手足をかけて、4~5mはあろうかという急斜面をよじ上る。この地方では降雨があったのか多少ぬかるんで滑り易い。道中の岩場は修験者が永年にわたって踏みしめたため、足跡のような形にえぐれていた。今はここに足をかけながら上ることができるが、昔の修験者は大変だったろうなと思う。国の重要文化財に指定される文殊堂の下まで辿り着いたが、またしても目の前に難所が。ゴツゴツした岩をどうにか上り、柱脚の下から見上げてみると、立ちふさがる巨岩に垂らされた1本の鎖が。まさにフィールドアスレチック。この前で20人くらいの渋滞が。文殊堂は室町時代後期の建立と推定され、回り縁をめぐらした舞台造りになっている。標高約500mの岩場にせり出したように建てられ、手摺りのない幅60cmほどの舞台で足がすくむほど。
しかしながら、ここからの大パノラマの絶景は一見の価値ある。ところが、途中で数名の団体が座り込んで雑談中。引き返すことに。マナーの悪さに憤りを感じた。
文殊堂の少し先にある地蔵堂も同じような造りである、こちらには鐘が供えてあり鐘つきの行列で渋滞していた。暫く待ったが時間がもったいないのでスルーして次に。
文殊堂と地蔵堂を過ぎると馬の背・牛の背が現れた。両側が切り立った岩場の尾根道で、足がすくむが用心しながら渡り切った。

岩窟の中に建てられた観音堂が現れた。観音堂の右に回り込むと、暗くて細い通路になっている。ここは「胎内くぐり」とされている場所で、洞窟を女性の体にたとえて、新しい自分に生まれ変わることを意味しているとか。合掌してお堂と岩の間をくぐり抜けると、今回の最終目的である投入堂が、断崖絶壁の岩窟に出現した。長い柱で床を支える懸崖(けんがい)造りで、岩窟の中にすっぽりと収まっている。建築時期は平安後期とされるが、どのように建てられたかは一切が謎。役小角が法力で建物ごと平地から投げ入れたという伝承が語り継がれている。
神社本殿形式では日本最古級の建造とされる。投入堂は中に入ることはできず、少し離れた場所から拝観するが、存在感は圧倒的である。
ここでも数名のものが写真を撮りあったり、話し込んだりで、渋滞。周囲のことを考えない我儘、自分勝手さに苛立ちが重なる。

下山ルートは上って来た道とほとんど同じなので、つい気を緩めてしまいそうになる。足を踏み外したらケガでは済まない場所もあるので、決して急いだりせず慎重に入峰修行受付所まで戻った。輪袈裟を返却して下山時間を記帳。12時55分。通常1時間30分から2時間のところ2時間20分を要した。
本堂の前で十薬茶(どくだみ茶)を頂くことを楽しみにしていたが、空っぽで飲むことができなかった。
三朝温泉で汗を流し帰路に就いたが、正に修行山行であった。しかしながら、人間的な成長は全く感じない。残念!



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