奥穂高岳山行記録


明神岳をバックに

山行日 2003年5月2日夜〜5月4日深夜
参加者 CL花折ケ SL奥西 川野 吉野 中塚 岩里 中野 花折シ 記録:永井
コース
5/3 上高地ターミナル7:30→8:15明神館8:30→9:15徳沢園9:30→10:25横尾11:00→12:20本谷橋12:38→休憩をはさみながら→14:55テント場着→17:00頃夕食準備→19:15就寝
5/4 2:00起床→3:25出発→4:00休憩→4:50日の出始まる!→5:55穂高山荘6:20→7:10山頂7:40→8:40山    荘8:50→9:50テント場10:50→13:00横尾13:20→15:15徳沢園14:45→15:30明神館15:40→16:30 ターミナル着 やあ〜っと着いた!(すぐにタクシーに乗れたので)
17:00すぎには駐車場着。村営の温泉に入って(ちょっと狭かった)京都へと・・真夜中に帰着・・24時間行動でした。

行動記録
 ものすご〜く天気の恵まれたGW、真っ青な空に映え山がとてもきれいでした。横尾をすぎた頃から雪も現れ、でもしゃべりしゃべりべちょべちょ・・そしてたくさんの人で渋滞気味。涸沢の小屋がみえだしたへんでは昇っている人が点点点・・・と続いていました。体調の良くない(二日酔い?との噂もあったが)面々は、この辺りから休み休み行く。
 先発隊の方々がテントを張る場所を確保してくださったので、そしてビールも冷やして置いてくださったので、とても嬉しかったのでした。テント設営後、青空の下、ビール片手にくつろいでいました。山が美しい!

 さて、メインの4日・・・2時に起きて、まだ星がきれい〜な中出発しました。いきなりの所が結構きつくて、とてもしんどかったのでした。4時を過ぎ、傾斜も少しましになって、後ろを振り向くと空が赤く染まってきて美しい!日も昇りきった頃から、ほぼノンストップでぐいぐい登る。おなかも空いてきて、結構きつかった・・雪に埋もれた小屋に到着したら、パクパク食べてしまいました。いよいよ、頂上に向けて出発です。いきなり急登、す、垂直〜・・梯子もアイゼンを付けているので恐い・・でも振り向けば槍がとてもきれいでした。頂上からは、槍もジャンダルムもそして富士山もきれいに見え、とても満足!・・と、うっとりしている幸せな時間は過ぎ、下る時がやってきました。登る時は“こ、こんなとこ下れない〜”と思っても結構下れるもんやなあといつも思っていましたが、今回の壁は違いましたね。慣れるまでが恐くてドキドキ・・・壁にへばりついてしまってダメな私でした。ゆっくりゆっくりと下りてきて、何とか無事小屋まで帰ることが出来ました。でも、ちょうどその時、上で滑り落ちた人がいて“うう、一歩間違ったら私だったかも〜”と、又恐くなって来たのでした。その後(小屋から)にも、◇中野さん、滑り落ちるの巻◇や◇永井もプチ滑りの巻◇や◇4人同時に滑って尻餅をつく(その内一人は滑った永井に蹴りを入れられ滑ってしまった吉野さん)の巻◇など、色々ありましたが何とか無事に上高地まで辿り着きました。それにしても横尾から上高地までの道のり、特に帰りはもうヘロヘロで、黙々と歩くしかないって感じで辛いですね。でも、河童橋まで戻ってきて見上げたら、“今朝あそこにいたのよぉ〜”と穂高が見え、感激でした。とっても中身の濃い2日間でした。 

追記:吉野さんの帽子がとても素敵でした!中野さんはめちゃめちゃ受けていました。



奥穂高岳山行報告 花折編

参加者 花折敬(L)、奥西(SL)、岩里、吉野、中野、川野、永井、中塚、花折シ(明峯)
コース
(2日) 京都――沢渡
(3日) 沢渡――上高地(7:30)――明神(8:15-30)――徳沢(9:15-30)――横尾(10:22-45)――涸沢(14:20)
(4日) 涸沢(3:25)――奥穂高山荘(5:53-6:20)――奥穂高頂上(7:10-40)――涸沢(9:33-10:50)――上高地(16:20)――沢渡――京都

直前のキャンセル???
 直前に千住君が仕事の関係でキャンセル。このいい天気に仕事上のつまらないことでキャンセルとはかわいそうというか情けないというか。山の前に、もう少し労働契約関係を学習しなければ、これからもこのようなことがときどき出てきて、山に行けない状況が出てくるのではないかと思う。
 さて、それはさておき、我々はそれぞれの車ごとに沢渡を目ざし、沢渡で合流。しばし交流をして就寝。

3日  人・人・人!
 今日は涸沢までだから、あわてることはない。タクシーで上高地に入り、のんびりと出発する。今年は雪が例年より多めと言うことで、上高地周辺にもちらほら見える。しかし、以前の多かったときは、このあたりでもしっかり積雪があったことを思うと、やはり全体的に暖冬化しているのだろう。
 時間通りに明神、徳沢、横尾へと進む。ここまでくると残雪の量も増えてきて、雪の上を歩くことも多くなってくる。ここから屏風を左手に眺めながら横尾本谷と涸沢の合流点を目ざす。ここまでくると、谷全体がびっしりの雪で覆われている。我々はその雪の上を涸沢までたどる。
 それにしてもすごい人人人。今夜の涸沢は小屋もテント場も超満員だろう。さすがに涸沢が近づくと、皆バテてきて速度が落ちる。それでも自分に割り当てられた団体装備をきちんと持ち上がり、テントを設営する。涸沢は、5m以上の積雪であろう。小屋もみんな雪の下である。
 時間もゆっくりあるので眺めを楽しんだり昼寝をしたり、しばし自由にすごす。一点の雲もない快晴。明日のルートもしっかり確かめられる。何の問題も感じられない。その後、食事担当の用意してくれた鍋をそれぞれのテントで楽しみ、明日の準備をして早めの就寝とする。今日の雪の状態、入山者の数を見て、遅くなれば雪質が悪くなり、しかも奥穂の梯子前後で大混乱するだろうと予測し、明日は2時起き、3時発とする。持つのはほとんど個人装備のみ。軽荷なので、コース時間通りに行動できるだろう。


常念岳より 日の出


4日  予想的中!
 予定通り2時に起床。しかし、準備に時間がかかり、出発は20分ほど遅れて3時20分発。起きるとさっと出発できるように、前夜の準備をきちんとして欲しい。装備などは入山前に調整しておくことも、教訓としよう。ヘッドランプでの出発となり、予期しなかったモンブラン本番の、非常によいトレーニングとなる。いきなりの急登で、中野、中塚は、調子が出ない。アイゼンの置き方と体制を指示。暗いと斜度も急に感じる。我々のルートは奥穂の小屋までずっと続いている夏のザイテングラードの左側の斜面である。
 これをほとんど上部までたどり、右のザイテングラードの上部に抜けて、小屋を目ざすものである。ちょうど中間部で日の出を迎える。常念岳に登る朝日が空を真っ赤に染めて、非常にきれいである。
 今日の我々の登頂を祝ってくれているようだ。急斜面であるので、休憩は下部で一本とったきりで、あとはひたすら奥穂岳山荘まで、登る以外にない。しかし、雪はしっかりしていて、アイゼンは小気味よく効く。中塚さんの調子がどうしても上がらない。体調がかなり悪いようだ。それでも時間通りに奥穂高山荘に着く。下を見るとやっと行動し始めたアリの大群のような人々の列。早く立って良かった。白出のコルは7m位の積雪で,小屋の屋根が雪面の下である。だから、取り付きの岩が低く見える。中塚さんは顔色が青く、自らここで待機をすることにする。

頂上を目ざす人々はちらほら。もちろん待ち時間もなく、梯子を通過。このすぐ上の急雪壁が今回のポイントである。下りをどうするか、ステップは切ってあるのでバックステップでこなせるだろうなどと思案しながら登る。この上の斜面には雪はなく、アイゼンをはずす。あとは一部雪がある斜面が出てきたが、夏道通りに頂上へ。頂上には数人で、ゆっくり景色を愛でながら休憩。霞んではいるが360度の大展望。槍までの稜線も素晴らしい。焼岳の向こうには乗鞍、御岳。遠く白山も眺められる。川野さん手作りの「らくなん山の会」の紙を広げて全員で記念写真を撮る。オレンジを食べ、十分景色を堪能した後、下山を開始する。下山はもちろんアイゼンをつける。雪壁まで下りてくると、予想通り登ってくる人が多くなってきた。しばらく時間待ち。ここを通過すれば後は危険なところはない。慎重にバックステップで下りる。鉄梯子から下を見ると、奥穂山荘前は黒山の人。ヘッドランプでの早朝発は、見事的中。ほとんど待ち時間もなく、核心部を下山することが出来た。これで一安心と思いきや…。

あれー!!!スス滑っていくー!

 奥穂山荘前で「山城山の会」の東さん達も休憩していた。二人で「山と渓谷」社のツアーに参加しているのだ。因みに参加費は交通費別でヨンパチとか。我々は交通費込みで1万2千円弱。やっぱり車利用テント泊は安い。

 さて、下山開始。急斜面にも慣れ、順調に下る。後ろから見ていて、みんな安定している。「中野さんも今までのトレーニングの成果が出ているなあ。」と言ったとたん、「あっ、誰か滑った。」「中野さんや。」何とほめたとたん、その本人がスリップし、そのまま止まらずに滑っていったのだ。200mは滑っただろう。「奥西さん、すぐ行って。」と指示し、現場に向かってもらう。幸い難無く立ち上がって、本人が両手を頭の上で丸くかざし、大丈夫とのこと。我々も慎重に下る。急斜面の下で中野さんと合流し、耳の近くをすりむいているだけで怪我もないようだ。涸沢のテント場に戻り、ほっとする。

 この後、昨日飲み残したアルコール類を明日まで残るという「乙訓」の人たちに差し入れし、テントを撤収して長い長い道のりを上高地へと戻る。上高地は観光客でごった返していた。タクシーで沢渡へ。近くの村営の温泉に行くが、設備が小さくハズレ。でも汗を流すとやっぱり気持ちいい。

 東海北陸自動車道は混んでいるだろうと予想して北陸まわりにするがこれもハズレ。猪谷から10数キロの大渋滞に巻き込まれてしまう。京都に着いたのは夜中の一時。それでも次の一日がゆっくり出来るので、早く帰るのはありがたい。



届出山行       奥穂高岳  花折忍編

 今回テント泊なので、5キログラムにもなる山スキーは持っていかないことにした。雲一つない空を見ながら歩く、横尾までの平坦な道も気持ちが良い。横尾から涸沢間では700メートルの高度を登らねばならない。荷物の重さと流れる汗に皆疲れが増していき、休みがありがたかった。涸沢までの雪の道は、延々と続く登山者の列でつながってしまっている。5月の北アルプスに来ているというのに、夏用の布製の軽登山靴をはいている人が多い。天気がよいからいいようなものの、雨や雪が降ったらするのだろうと思う。

 涸沢はすでにいろいろな色のテントで一杯だ。ペグを忘れてきたので途中に集めた木の枝を使って雪に埋め込んだ。隣のテントはと見ると、夏用のペグがただ雪に刺してあるだけ、土と同じように。雪が溶け出したり風で動いたりしたらどうなるのだろう。リーダーは、「雪山に来てはいけない人、きちんと教育を受けていない人が来ている。」と指摘していた。雪の涸沢に来るのは何年ぶりだろう。穂高岳山荘までの斜面は雪がしっかりと付き、スキーで滑ったらどんなに気持ちが良いだろうと、スキーを持ってこなかったことが少し悔やまれた。 

 小屋やテントの人たちが全部奥穂高岳目指して登ってくるのだから、はしごの上り下りで相当待ち時間が出るのではと言うことから、2時起床、3時出発と決定したが、これは正解であった。ヘッドランプで歩くことが初めての人も多く、コルまではかなりの傾斜もあり時間がかかった。さあいよいよ最後の登りだ。ハシゴの後の急な雪壁、下りではザイルを出そうかどうかという話も出ていた。この後は岩場が続いた。最後雪のトラバースを超えると頂上だ。360度パノラマの世界を堪能して下りに向かった。奥穂高岳山荘に着くちょっと前に、山荘でくつろぐ人たちから、「大丈夫ですか。」という叫び声があがった。あの雪壁から人が落ち、ワイヤーで止まったというのだ。確かにあの雪壁は慎重に降りなければならないが、一歩一歩しっかりステップをきって降りれば大丈夫なところだ。しかし時間がたち雪が腐ってきたらあのステップは崩れてしまうのではと心配した。

 私が雪の奥穂高岳に来たのは、西穂高岳に続いて二つ目の山であり、会の春山合宿でもあったため思い出が一杯ある。今回久しぶりで来たが、雪の山に抱かれるという素晴らしい思いを持つことができた。洛南山の会のメンバーもテント生活に慣れ、山に登る技術も向上してきている。


奥穂高岳へ登山中




穂高岳山行報告   奥西
 5月の3連休は、最近は春の雪山ということになっている。昨年は、双六岳に行った。残念ながら、大雨と大風のために、頂上には立てなかったが、双六小屋まで行ったので、春の雪山は満喫できた。

 今年は、モンブラントレを兼ねて、奥穂高岳に行った。夏に3度奥穂高岳に行ったが、いずれも新穂高温泉がベースになっていたので、一般的な涸沢から奥穂高岳へのコースは初めてなので、大変楽しみであった。

 2日午後7時近鉄大久保駅を出発。吉野、川野、岩里、中野郁が乗り、途中で中塚陽を拾い、6人で出発。花折号は、花折夫妻、永井の3人で出発。名神、東海北陸道と順調に走り高山へ、そこから安房トンネルを越えて、沢渡の駐車場へ。いつものように、「ホテル花折」で宴会。

 翌日の3日は2台のタクシー(4500円ほど)に分乗して上高地へ。出発準備をしていると山城山の会の東さんと、坪井さんがいる。ヤマケイかどこかのツアーでモンブラントレのために我々と同じコースで歩くという。

 横尾までは平坦な道が続いている。この3連休は絶好のお天気になるという。確かに雲ひとつない青空が広がっている。そこに頂を鋭く突き上げている雪をかぶった西穂から奥穂への穂高連峰の峰峰が連なっている。登山学校の関係で、夏にそこを3回も歩いたなあと思いに浸りながら歩く。上高地を7時ごろに歩き始めたと思うが、もうたくさんの登山者が歩いている。明神、徳沢、横尾と順調に歩いてくる。しかし、自分は足の調子が悪い。すでに靴擦れがおきかけている。テープを張る。ここから、つり橋を渡り涸沢への道に入る。沢沿いに上っていくが、だんだん雪道に変わっていく。横尾が標高1500m余りで、から沢のテント場が2300mなのでやく800mの登りである。だらだらと上っているが、久しぶりの重い荷物なので、結構しんどい。何回か休憩を取りながら進んでいく。そして、道が大きく方向を変えるところ辺りからしんどくなってきた。傾斜も急になってきた。胃の調子が悪い。むかむかしだしてきた。トイレに行くが、ますます調子が悪い。すでに、小屋も見えているので、みんなに先に行ってもらい、自分のペースで行くことにして歩く。歩いていくと何人かに追いついた。中野さんと中塚さんも調子が悪そうだ。テント場がそこに見えているのに、なかなか着かない。もうあかん、もうあかんと思いながら必死で歩いてやっとの思いでテント場に到着。おびただしい数のテント。やっと探し当てて花折さんたちのいるところへ。テントの設営は任せてへたり込む。設営されると、真っ先にテントにもぐりこんでひと寝入りさせてもらう。寝ると、一応調子が少し戻り、夕食も普通に食べられた。ただし、お酒はちょっぴりにした。2張りのテントで、今回は男女に分かれて就寝。天気はよいのに、外の空気は暖かい。

4日は、午前2時に起床。今日中に奥穂高岳に上って、京都まで帰るという。相変わらず天気はよい。準備をして、3時20分にヘッドランプをつけて出発。なぜこんなに早く出発したか。早いと雪がよくしまっているのと、みんなと同じよう

に歩くと、はしご場が大混雑して時間ばかりくってしまう。そんなわけで、みんながまだ寝ている時刻に出発と相成った。

 確かに雪はしまっていて、程よくアイゼンがきく。穂高岳山荘へ直登する谷を上る。急なのぼりだ。途中で、常念岳の右手から昇ってくるご来光で、一気に明るくなる。やっとの思いで、穂高岳山荘に着く。結構たくさんの人がいる。ゆっくり休憩して、奥穂へ向かう。

 はしご場を慎重に過ぎ、そのあと、50mほどの雪の急斜面ののぼりがある。上りはともかく、下りで足を踏み外して落ちると、その下は垂直になった岩陵である。慎重に慎重に登る。このあとは、ほとんど雪もなく、途中でアイゼンをはずして頂上までいく。一箇所雪がついていて、トラバース気味に登るところは気を使ったが。

 頂上からは、すばらしいの一語につきる景色が待っていた。写真をとり、ゆっくり展望を楽しんだ後下山にかかる。再びアイゼンをつけて下る。はしご場の上の雪の急斜面はバックステップで慎重に降りる。

計算どおり、はしご場は、少し待つだけで、降りることができた。山荘前で、再び東さんと坪井さんに出会う。これから登るという。一緒に写真をとる。休んでいると、落ちる落ちるという声。はしご場付近を見ると、はしご場の上辺りで滑り落ちる人がいる。幸いその下のワイヤーに引っかかって、命拾いをした。

 山荘前は,人でいっぱいである。下を見ると次から次と登ってくる。早く出発したのが正解であった。頂上まで行かなかった中塚さんと合流して,テント場まで下山を開始する。下から多くの人が登ってくるので,列の少し右側を下っていくことにする。少し下ったところで中野さんが滑った。ピッケルストップをかけるが,なかなか停まらない。しかし,訓練していたので,姿勢は崩さないで滑っていく。雪もふかふかであったので,相当滑ったが大丈夫であった。ひやっとした。

 急降下でテント場まで戻り,テントを撤収し,一路下山を開始する。雪道の下りは速い。しかし,テープを張ってある靴擦れがだんだん痛くなってくる。我慢して歩くしか仕方がない。停まってしまうともう歩けなくなりそうなので,スピードを緩めないで歩く。横尾の手前で雪は終わる。

 後,横尾,徳沢,明神と過ぎて行く3時間の道のりの長かったこと。必死で歩いてやっと上高地のバス停へ着く。

 人が多いことを予想していたが,並んでいる人はいない。タクシーがたくさん並んでいた。タクシーで沢渡に戻り,その向かいにある小さい小さい温泉に入る。家の風呂の3つか4つ分ぐらいの湯船で4〜5人も入ればいっぱいになるような湯船でゆっくり入ることができなかった。しかし,とにかくさっぱりはした。東海北陸道が込むだろうと予想して、富山まわりで帰るが,途中で大渋滞で時間がかかる。こんなんやったら,高山まわりで帰ったほうが速かったと思うが,これだけは仕方がない。忍の一字である。

 家に帰ったのは翌日の午前2時であったが,5日はゆっくり休めて,久しぶりに孫と過ごせて良かった。



奥穂高岳雪上登山に参加して  岩里
 沢渡の駐車場から上高地に向かうタクシーの車窓から眺める空は雲一つなく快晴!

上高地から横尾へはやはり長く、つらかった。9月の山行とは景色が全く違い、夏の白馬の大雪渓を思わせるような数珠つなぎ状態、人がすごく多かった。休憩毎に日焼け止めを塗り直し、真夏用のつばの広い帽子+日よけ布を付けて、なんとか予防したいと思う乙女心?、しかしジリジリ暑かった。ファッションスタイルでは吉野さんに賞をあげたいようなステキなお姿でした。ようやく着いたテント場は秋のように岩がごろごろして歩きにくいようなことがなく、この点は助かりました。

 翌日2時起床で3時30分行動開始、またヘッドランプを点けて登るのも初めての体験。以外とよく見えるものでした。訓練、訓練と思いながらも振り返って写真を撮ったり、自分のなかでは、わりといい感じで登れたように思えました。

何度見てもご来光と空の色がグラデーションに変化していく様子は感動ものでした。

 穂高岳山荘から上はアイゼンを着けてハシゴや岩場を登ったりと歩きづらいものでしたが、昨年9月極寒・風雨・霧の山行の時には見えなかった素晴らしい景色を見ることができほんとうに良かったです。雪の槍ヶ岳、富士山、よく耳にするジャンダルム・ロバの耳よく見えました。うらやましいことに吉野さんは頂上からラブコール。相手はたぶん、いえきっと奥様でないと困る。

下りは頂上から近い、足幅ほどしかない所を通過するところ、またハシゴのすぐ上の雪面をバックステップで下りないといけなかったところは慎重に慎重にと足を進めました。なにか起こったらとかあまり考えないようにして。

無事に小屋まで戻ってきたら、人がどんどん増えてきていた。夜中から行動した甲斐あって、渋滞に巻き込まれることなく、また雪がしまっている状態でバックステップで下りてこられて良かったです。ロープで確保しながら下りることを想像すると怖かった。長い長い1日はようやく終わり、京都に戻ると24時間も行動していたことに。疲れるはずです。初めて経験することもあって、今回も収穫の多い山行になりました。モンブランに向けてのいいトレーニングになったはずです。

 今回は出発10日前に自転車で電信柱にぶつかり、軽いむちうちに状態になってしまって参加を迷いました。しかし参加して大正解!いい山行ができたので。

花折さんからは個人装備が持てるようなら参加OK!奥西さんからは個人装備と同じ重さを担いでその辺を1時間歩いて痛みがなければ大丈夫ではないかと言われて参加を決意。行きは共同装備が持てなくて、他のみなさんに迷惑をかけてしまいました。協力いただいて無事今回の山行が終えられほっとしました。どうもありがとうございました。


ジャンダルム




奥穂高岳山行感想文   中野
 一週間前の楽しい針ノ木岳山行から一転、個人的に大波乱の山行になってしまいました。バテて、滑落して、帰りは車酔いまでして・・・。

初日の上高地から涸沢まで。歩き出しから、明神、徳沢、横尾と、他のメンバーはいつも通り順調そうに見えるけれど、私はその平坦な道でさえ今回は異様に時計が気になる。横尾からは先はもっと時計が気になって、いつもと何か違うと思いながらも何とか付いて行くけれど、一旦「休憩して下さい。」と弱音を吐くと、それからどうも「登るぞ!」という気力が湧いて来なくなってしまいました。何度も何度も休みながら、やっとやっとでテント場に着くことに。何とか辿り着いたテント場ではテントを張る気力も無く、全て人任せになりました。その後はもっともっと気力が無くなって、夕食づくりも手伝えず、シュラフにくるまってずっと寝ていただけ。ご飯時の楽しい会話、美味しいお鍋も参加出来ず、気を使って作って貰ったお雑炊を少しだけ口にしました。後片付けも殆どお任せして寝る準備をしている頃から、ちょっと元気になって来たような気がして来ました。お雑炊効果かな??この時初めて、朝からまともにお腹に食べ物を入れて無かったことに気付きました。このだるさ(バテ)の原因はここにあったかもしれません。

2日目の朝(真夜中?午前2時です。)は起きると、睡眠はそこそこに取れて体調は80〜90%ぐらい回復したような感じで、朝食はみんなと同じように取ることが出来ました。昨日のこともあって、多少の不安は残しつつも歩き始める。いきなりの急登になかなか息が切れる。みんなのペースに付いて行けないので、自分のペースで登らせて貰う。それが精一杯。何とか穂高岳山荘に到着。小屋に到着してからはだんだんと気分が晴れて来て「あと登りは奥穂まで、頑張るぞ!!」とやっと気力が湧いて来ました。ここから先、奥穂までの登り下りが、今回の山行唯一の収穫となりました。去年の秋に来た時に感じたもの凄い恐怖感を感じること無く、奥穂山頂までを登って下って来ることが出来ました。少々の岩登り経験と、高い山に慣れて来たことを少しだけ(やっぱり、怖いことは未だ怖い)実感しました。

穂高岳山荘からの下り。後は下りだけ・・・と、気を抜いてしまっていたのでしょう。注意して歩けば問題の無い斜面の筈なのに、滑ってバランスを崩し、尻餅をついたまま滑り落ちてしまう。「止めなければ!」と、ピッケルストップを思い出して試して見るが、全然止まらない。何度かそれをやっているうちに逆に回転がついてしまい、何回転かしてやっと手で雪を掻いて止める。とにかく早く起きあがってみんなに無事を知らせようと振り向くと、斜面の上の方にみんなの姿を見つけて、かなり滑り落ちたことが分かりました。奥西さんが急いで下って来てくれてホッとするけれど、下りは未だ続きます。どうにもその同じ斜面を下ることが怖くなって恐る恐る下っていると、花折さんや川野さんが励ましに来てくれ、何とかテント場まで戻って来ることが出来ました。結果的には首や顔の擦り傷と、足首の軽い捻挫程度で済みましたが、自分のちょっとした不注意で危ないところでした。見ている方もハラハラしたことと思います。心配させて、申し訳ありませんでした。

今回こんなことになって、安全に注意して歩くこと、その当たり前のことを再認識したのは勿論、滑ってしまったが故に勉強になったこともありました。
習ったピッケルストップをしたつもりが、何故止まらなかったのか?
・下り時のピッケルの持ち方が逆さだった。
八ヶ岳山行で訓練したのに、しっかりと身につけていなかった。ピッケルの役割を理解しないで持っていた。
自分のとった行動で間違っていた点
・滑落した場合、ピッケルは絶対に離さない。

 最後にピッケルを無意識に離してしまい、手で雪を掻いて止めた。幸いにして今回は軽傷で済みましたが、ピッケルが刺さって大けがをする場合があるとのこと。

・滑り始めた時に直ぐ止める。
 滑り始めて直ぐにアイゼンを利かせて止めたり、ピッケルを使って止められていたら、こんなに滑り落ちることは無かった。

教えて貰うこと、身に付ける物、装備として持っていく物の全てが意味のあることだということをしっかりと意識して、これからは行動したいと思います。そして基本は、安全に注意して歩くこと。こんなことは今回きりにしたいです。

 涸沢から上高地までの戻りは、気分も落ち着き、いつもどおりの調子で、しんどいながらも順調に歩くことが出来ました。去年の秋のこと(凄いタクシー待ち)があったので、上高地のタクシー乗り場で並ぶぞー!と急ぎ足で帰って来て、あれれ、拍子抜け。お客さんは全く見当たらず、タクシー待ちならぬ、タクシーと運転手さんがお客待ち。でもこれで早く帰れるし、良かった良かった。上高地からタクシーに乗って駐車場に戻って来て、一安心。後はお風呂に入って帰るだけ・・・で、済まなかったのです。帰りの車中。疲れからか、山道のカーブを曲がる時の揺れで気分が悪くなってしまいました。窓を開けさせて貰っても気分が良くならないし、結局は後ろのシートに横にさせて貰うことに。みんな同じように疲れて、特に運転している奥西さん、吉野さんは集中して運転するためにも横になりたかった筈なのに、今回の山行で何度目でしょう?またまた迷惑を掛けてしまいました。

それにしても、本当に辛い山行でした。初日にバテたのはやっぱり辛かったし、テント場では何も手伝えず、滑落して、車酔いしてと、一緒に行ったみんなに迷惑を掛けてばかりだったことが、また辛かった。体力と技術をしっかり付けて、勉強もして、またテント泊の山行を楽しめるように復活したいと思います!!



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